三潴信吾
三瀦 信吾(みつま しんご、1916年9月26日[1] - 2003年1月6日)は、日本の法学者。高崎経済大学名誉教授。専門は、法哲学・明治憲法史・防衛法史・皇室典範を研究。東京都港区出身。
父は法学者で東京帝国大学法学部教授を務めた三潴信三。弟は経済学者で筑波大学名誉教授の三潴信邦[2]。姉の夫は法学者で東京大学名誉教授の山田晟。妻の兄は思想史学者で学習院大学名誉教授の筧泰彦。妻の父は法学者の筧克彦。
人物
[編集]1941年、東京帝国大学法学部を卒業した。財団法人皇学会研究員。1942年、臨時召集された。1945年、復員した。善隣協会専門学校 (旧制)兼任講師。1949年、東京大学大学院(旧制)修了。明治大学法学部助教授。1957年、高崎経済大学経済学部教授。1959年、同学生部長。1965年、同学長事務取扱。1966年、同教務部長。1968年、同学長就任。1969年、同学長退任。1972年、同図書館長。1973年、財団法人モラロジー研究所顧問。1977年、高崎経済大学教務部長再任。神社本庁講師。1980年、学校法人廣池学園理事。[1]1982年高崎経済大学停年退官。同名誉教授。麗澤大学外国語学部教授。1987年、同定年退職[3]。神道政治連盟講師。日本文化大学法学部客員教授。1990年、同退職。1995年、維新政党・新風講師。2003年1月6日、肺炎のため死去した[4]。
この他に皇學館短期大学国文科兼任講師(1969年 - 1976年)、防衛大学校人文・社会科学専攻課程兼任講師(1974年 - 1977年)も務めた。[1]
エピソード
[編集]学部・大学院時代に法学者・神道思想家の筧克彦に指導を受ける。徴兵経験もあり、その後、恩師の影響を受け改憲論者にして、日本を代表する右翼系法学者の1人となる。[5]
主著
[編集]- 『憲法改正の主張』共著 報國新聞社 1957
- 『祖国復興』洋販出版 1970
- 『統帥権について』国民新聞社 1973初版/1984改訂版
- 『日本憲法要論』洋販出版 1986
- 『み国始め物語』髙木出版 1992初版/2004改訂版
脚注
[編集]- ^ a b c 以上につき、「三瀦信吾教授略歴」『高崎経済大学論集 24(4)』1982.3 巻頭p1以下
- ^ “三潴信三 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2024年3月31日閲覧。
- ^ 『新訂日本人名録 2002』
- ^ 三潴信吾氏死去/元高崎経済大学長、憲法学 - 四国新聞
- ^ 以上につき、『高崎経済大学論集 24(4)』1982.3
学職 | ||
---|---|---|
先代 徳田進 |
高崎経済大学学長 第5代:1968年 - 1969年 |
次代 川端清策 |