コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

三田村元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
みたむら はじめ
三田村 元
本名 村瀬 桂造
別名義 村上 文二
生年月日 (1935-10-10) 1935年10月10日(89歳)
出生地 日本の旗 日本愛知県江南市布袋伝馬町
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
テンプレートを表示

三田村 元(みたむら はじめ[1][注 1]1935年10月10日[2][1] - )は、日本俳優。本名、村瀬 桂造[2]。旧芸名は村上 文二。

愛知県江南市布袋伝馬町出身[3]大映[2]東京俳優生活協同組合[1]、赤坂プロ[2]日活、アローエンタプライズ[4]、ユーアイプロに所属していた[5]

略歴

[編集]

実家は村瀬酒造[3]。父親が陸軍軍人であり、各地を転々としていた事情から、幼少時は兄や姉と共に祖父の家で暮らしていたが、問題児であったことを見かねた父親に母親とともに呼び寄せられ、静岡県三島市千葉県銚子市、千葉県四街道市などで2年間父と過ごした後、愛知に戻り、江南市立布袋小学校入学[3]。負けず嫌いな性格であったことが功を奏し、2年生から卒業までは学年でトップの成績だったとされる[3]滝中学校進学後は女性関係のトラブルから陸上競技に打ち込み、県大会で新記録を樹立した[3]愛知県立尾北高等学校進学後は陸上競技を続けるが、大学受験に失敗したことから上京して予備校に入った後、日本大学法学部に入学[3]。大学在学中、家庭教師のアルバイトをしていたことがきっかけで、第6回ミスター平凡グランプリに応募し、グランプリに選ばれる[3]。これがきっかけで俳優の道に進み、大学卒業後に大映に入社[3]。1968年に赤坂プロ所属[2]

出演作品

[編集]

映画

[編集]

テレビドラマ

[編集]

バラエティ

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 'みたむら げんと記載している資料もある[2]

出典

[編集]
  1. ^ a b c 出演者名簿』《昭和44年度版》日本著作権協議会、1968年、387頁。 
  2. ^ a b c d e f 『日本タレント年鑑70』日本タレント年鑑刊行会、1970年、138頁。 
  3. ^ a b c d e f g h 『近代映画』10月号、近代映画社、1960年10月、150頁。 
  4. ^ 出演者名簿』《昭和46年度版》日本著作権協議会、1970年、382頁。 
  5. ^ 出演者名簿』《昭和47年度版》日本著作権協議会、1971年、409頁。 
  6. ^ 流血の抗争 Nikkatsu