三統真浄
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時代 | 平安時代初期 - 前期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位上・中宮亮 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 日置宿禰→三統宿禰 |
父母 | 父:日置御郷 |
子 | 元成、小当女 |
三統 真浄(みむね の まきよ)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。氏姓は日置宿禰のち三統宿禰。左京大進・日置御郷の子。官位は従五位上・中宮亮。
経歴
[編集]仁明朝の承和11年(844年)一族と共に日置宿禰から三統宿禰に改姓する(この時の官位は従六位上・玄蕃助)。承和14年(847年)外従五位下に叙せられ、嘉祥2年(849年)備後介に任ぜられる。
嘉祥3年(850年)文徳天皇の即位後に内位の従五位下・中宮大進に叙任されて京官に復す。こののち文徳朝から清和朝初期にかけて10年以上に亘って中宮大進および中宮亮として、中宮・藤原順子に仕える。この間の仁寿3年(853年)正月にいったん周防守に任ぜられるが、4月には早くも中宮大進に還任している。
天安2年(858年)清和天皇の践祚後に中宮亮に昇格して引き続き皇太后・藤原順子に仕える。翌貞観元年(859年)藤原順子が東宮から西三条第(右大臣・藤原良相邸)に行啓した際、皇太后宮職の官人が加階を受け、真浄は従五位上に叙せられている。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:従六位上。玄蕃助
- 承和11年(844年) 10月1日:日置宿禰から三統宿禰に改姓
- 時期不詳:正六位上
- 承和14年(847年) 正月7日:外従五位下
- 嘉祥2年(849年) 正月13日:備後介
- 嘉祥3年(850年) 4月17日:従五位下(内位)。4月27日:中宮大進(中宮・藤原順子)
- 仁寿3年(853年) 正月16日:周防守。4月10日:中宮大進
- 仁寿4年(854年) 正月16日:兼美濃介。5月22日:次侍従
- 天安2年(858年) 9月25日:中宮亮
- 貞観元年(859年) 4月18日:従五位上
- 貞観3年(861年) 正月13日:兼伊勢介