三輪潔
三輪 潔(みわ きよし、1900年(明治33年)4月14日[1][2] - 1973年(昭和48年)10月1日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]三重県出身[1][注 1]。大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業[1][2][3]。同年10月、騎兵少尉に任官し近衛騎兵連隊付となる[1][3]。1924年(大正13年)2月から10月まで、所沢陸軍飛行学校で操縦学生として学んだ[1]。同年10月、騎兵中尉に昇進[1]。1925年(大正14年)5月、兵科を航空兵に転科し航空兵中尉に任官[1]。1930年(昭和5年)3月、航空兵大尉に進み、1934年(昭和9年)11月、陸軍大学校(46期)を卒業した[1][2][3]。
1935年(昭和10年)12月、参謀本部付勤務となり、1936年(昭和11年)8月、航空兵少佐に進級し参謀本部員に就任[1]。1938年(昭和13年)3月、航空兵中佐に昇進し、同年12月、ソ連大使館付武官補佐官に発令された[1]。1939年(昭和14年)4月、参謀本部作戦課員に発令されて帰国[3]。
1940年(昭和15年)8月、航空兵団参謀に発令され満州に赴任[1][3]。1941年(昭和16年)3月、陸軍大佐に進んだ[1][3]。同年9月、陸軍航空本部総務部庶務課長に就任[1][3]。同本部総務課長を経て、1944年(昭和19年)6月、同本部教育部長に就任[1][3]。同年8月、教導航空軍参謀副長を兼務し、同年9月、同参謀長兼航空本部教育部長を経て、同年12月、航空本部教育部長専任となる[1][3]。1945年(昭和20年)3月、陸軍少将に進んだ[1][2][3]。同年4月、航空総軍参謀副長を兼務し終戦を迎えた[1][2][3]。同年12月、予備役に編入された[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本陸軍将官辞典』710頁、『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』446頁では東京。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。