コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

三輪茂雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
みわ しげお

三輪 茂雄
生誕 (1927-07-19) 1927年7月19日
日本の旗 日本 岐阜県養老郡上石津町(現・大垣市
死没 (2007-10-22) 2007年10月22日(80歳没)
出身校 名古屋大学
職業 工学者
テンプレートを表示

三輪 茂雄(みわ しげお、1927年7月19日 - 2007年10月22日[1])は、岐阜県養老郡上石津町(現・大垣市)出身の工学者。専門は粉体工学日本粉体工業協会名誉会員。粉体工学会名誉会員。

経歴

[編集]

1927年(昭和2年)に岐阜県養老郡上石津町(現・大垣市)下山に生まれた。1952年(昭和27年)に名古屋大学工学部応用化学科を卒業し、昭和電工株式会社に就職した。昭和電工でプラント設計などに従事する傍らで、1961年(昭和36年)には「篩分けに関する研究」で名古屋大学から工学博士を授与された。

1966年(昭和41年)には同志社大学工学部の助教授に就任し、1967年(昭和42年)に工学部教授に就任した。1998年(平成10年)3月に定年で同志社大学を退任し、4月には同志社大学名誉教授となった。2000年(平成12年)7月から2003年(平成15年)7月には白石工業株式会社の監査役を務めた。2007年(平成19年)10月22日、心不全のため死去した。

功績

[編集]

専門分野である粉体工学のほかに、鳴き砂の研究でも知られ[2][3][4]、鳴き砂の浜の保全を呼びかけ続けた[5]。「鳴き砂博士」[1]、「鳴き砂の父」[6]などと呼ばれた。2001年(平成13年)に京都府竹野郡網野町(現・京丹後市)に開館した琴引浜鳴き砂文化館には、2008年(平成20年)に「鳴き砂の父 三輪茂雄先生之碑」が設置された[6]

著書

[編集]
  • 粉体のフルイ分け』日刊工業新聞社 1965
  • 『粉粒体工学』朝倉書店 1972
  • 『ふるい分け読本』産業技術センター 1974
  • 『石臼の謎 産業考古学への道』みわしげを 産業技術センター 1975
  • 『石臼探訪』みわしげを 産業技術センター 1978
  • 『臼 ものと人間の文化史』法政大学出版局 1978
  • 『粉と粒の不思議 先端技術を支える粉体の科学』ダイヤモンド社 サイエンス・ブックス 1981
  • 『粉の秘密・砂の謎』平凡社 1981
  • 『粉体工学通論』日刊工業新聞社 1981
  • 『鳴き砂幻想 ミュージカル・サンドの謎を追う』ダイヤモンド社 1982
  • 『白砂を訪ねて 鳴き砂の秘密』同志社大学出版部 1983
  • 『「粉」の文化史 石臼からハイテクノロジーまで』 (NHK市民大学) 日本放送出版協会, 1985.10
    • 『粉の文化史 石臼からハイテクノロジーまで』新潮選書 1987
  • 『粉の秘密・砂の謎』平凡社・自然叢書 1989
  • 『篩 ものと人間の文化史』法政大学出版局 1989
  • 『消えゆく白砂の唄 鳴き砂幻想』日本図書刊行会 1994
  • 『粉と臼 日本を知る』大巧社 1999
  • 『粉 ものと人間の文化史』法政大学出版局 2005

共著

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b asahi.com:鳴き砂博士の三輪茂雄・同志社大名誉教授が死去 - 関西”. www.asahi.com. 2019年7月7日閲覧。
  2. ^ 鳴き砂 : 略歴”. bigai.world.coocan.jp. 2019年7月7日閲覧。
  3. ^ 他叙伝(自叙伝ならざる)”. bigai.world.coocan.jp. 2019年7月7日閲覧。
  4. ^ 『現代日本人名録』
  5. ^ 三輪茂雄 (1994). 消えゆく白砂の唄 鳴き砂幻想. 近代文藝社 
  6. ^ a b 「『鳴き砂の父』功績たたえる 京丹後に記念碑」『朝日新聞』2008年10月19日

外部リンク

[編集]