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三遊亭圓龍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三遊亭 圓龍(さんゆうてい えんりゅう)は落語名跡。過去に3人ほど確認されている。現在は空き名跡。

  • 銚遊亭ちょうゆうてい圓龍 - 『東都噺者師弟系図』『落語家奇奴部類』では初代三遊亭圓生門人としてみえる。
  • 三遊亭圓龍 - 最初上方で土橋亭龍喬。1885年正月から東京に出向き三遊亭圓朝の門で圓龍を貰い、地方廻りに専らにした。(本名:藤井久五郎、長野出身)
  • 三遊亭圓龍 - 後∶三遊亭圓駒

三遊亭さんゆうてい 圓龍えんりゅう
三遊亭(さんゆうてい) 圓龍(えんりゅう)
定紋の三ツ組橘。
本名 水野みずの 孝雄たかお
生年月日 1939年2月20日
没年月日 (2021-08-20) 2021年8月20日(82歳没)
出身地 日本の旗 日本東京都
死没地 日本の旗 日本東京都
師匠 六代目三遊亭圓生
名跡 1. 三遊亭旭生
(1965年 - 1981年)
2. 三遊亭圓龍
(1981年 - 2021年)
出囃子 末広狩
活動期間 1965年 - 2018年
所属 落語協会
(1965年 - 1978年)
落語三遊協会
(1978年 - 1980年)
落語協会
(1980年 - 2021年)
受賞歴
フジテレビ「ものまねショウ」グランドチャンピョン(1983年)

三遊亭 圓龍(さんゆうてい えんりゅう、1939年2月20日 - 2021年8月20日)は、東京都杉並区高円寺出身の落語家落語協会所属。本名∶水野 孝雄出囃子は『末広狩』。以前はプロダクション・タンクに所属していた。

来歴

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1939年2月20日東京都杉並区高円寺生まれ。1945年3月山梨県高根町(現:北杜市)に引っ越す。

8年間勤めた松井証券を退社後1965年2月に六代目三遊亭圓生に入門し「旭生」を名乗る。

1969年4月、柳家小団治柳家小三太七代目むかし家今松と共に二ツ目昇進。1978年6月に落語協会分裂騒動で師匠の圓生に従って落語協会を脱退し、新団体の落語三遊協会に加わるが、1979年9月に圓生が死去。1980年2月に落語三遊協会解散に伴い、落語協会に復帰する。

1981年3月に柳家さん喬六代目五街道雲助七代目むかし家今松三遊亭歌司二代目金原亭馬の助橘家竹蔵と共に真打昇進、「圓龍」に改名。

2018年4月8日お江戸日本橋亭「怖いはなしの会」[1]で『骨違い』を演じて引退[2]

2021年8月20日、午前9時30分、悪性腫瘍により東京都内の自宅で死去[3][4][5]。82歳没。

2022年2月20日、有志によるクラウドファウンディングと、生前の記録をYouTube上に配信する活動を開始[6]

芸歴

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人物

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三遊亭圓生に入門した当時から柏木のマンションに通う。入門当時から体重100kgであった。

師匠の新団体設立と解散に伴い、内定していた真打昇進が2度白紙になるという珍しい経験をしている。

落語協会に戻ったあとも冷遇されている。真打昇進前の落語新人大会の決勝にて「阿武松」を熱演したが、当時審査員をしていた柳家小さんに「落語は笑わせる噺で評価すべき」と言われ優勝できなかった過去を持つ。真打昇進について時期が延びたことを小さんから直接、謝られたこともある。

三遊亭歌司三遊亭圓丈古今亭志ん駒柳家さん遊柳家小団治柳家さん八むかし家今松古今亭志ん五金原亭馬の助橘家竹蔵柳家小袁治と共に同期会「落友舎」を結成している。[要出典]

国立演芸場に来ていた三代目桂米朝から「持参金」を稽古付けてもらい、(米朝に許可を得て)東京落語風に形を変えて演じている。

歌舞音曲に造詣深く、笛・太鼓・ピアノ・バイオリンと多くの楽器を演奏する。三味線を弾きながら落語をすることもあり、圓生が独演会で使うほど見事な腕前だと評される。

元大相撲力士の巨砲丈士に顔が似ていることから「落語界の巨砲」と自称していた。のちに「落語界の久島海」と改めている。

メディア

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  • 円龍のそば行脚 落語家が選んだ東京23区内のそば屋308 ISBN 9784817080844 日貿出版社
  • 円龍の下町人情味処 山と渓谷社
  • 絶対面白い小噺三百選 噺家のネタ帖 ISBN 9784778107086 心交社
  • 二八人二八演 あたしが大好きな噺家と噺のお話 ISBN 9784862381996 バジリコ
  • 内儀さんだけはしくじるな―目白・柏木・黒門町 ISBN 9784163704005 文藝春秋 - 古今亭 八朝/岡本 和明【編】 - 六代目 三遊亭圓生夫人(山崎はな)を語る座談会に登場。

脚注

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出典

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  1. ^ 4月8日 怖いはなしの会(テーマ別演芸会VOL.2)”. Ameba blog. 有限会社宮岡博英事務所のブログ (2018年2月5日). 2020年8月20日閲覧。
  2. ^ 宮岡里英 office SATOBI [@riemiyaoka] (2018年4月5日). "4月8日お江戸日本橋亭「怖いはなしの会」は圓龍師匠の最後の高座の日でもあります。". X(旧Twitter)より2021年8月20日閲覧
  3. ^ 三遊亭圓龍 訃報”. 落語協会. 一般社団法人 落語協会 (2021年8月20日). 2021年8月20日閲覧。
  4. ^ 落語家の三遊亭圓龍さん、悪性腫瘍で死去 82歳”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社 (2021年8月20日). 2021年8月20日閲覧。
  5. ^ 三遊亭圓龍さんが死去 悪性腫瘍のため」『デイリースポーツ』2021年8月20日。2021年8月21日閲覧。
  6. ^ EnRyuProject. “【落語】三遊亭圓龍の話藝を復元するプロジェクト[YouTube]”. camp-fire. 2022年9月20日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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