柳家さん八
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柳家 さん八(やなぎや さんぱち)は、落語家の名跡。当代は二代目。
- 初代柳家さん八 - 後∶九代目入船亭扇橋
- 二代目柳家さん八 - 本項にて記述
二代目 Yanagiya Sanpachi the 2nd | |
柳家さん八定紋「つたの葉」 | |
本名 | |
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生年月日 | 1944年10月3日(80歳) |
出身地 | 日本・東京都江戸川区 |
師匠 | 七代目立川談志 五代目柳家小さん |
名跡 | 1. 柳家そう助 (1966年 - 1971年) 2. 二代目柳家さん八 (1971年 - ) |
出囃子 | 東雲節 |
活動期間 | 1966年 - |
活動内容 | 落語家 |
所属 | 落語協会 |
受賞歴 | |
国立花形演芸会賞金賞(1981年) | |
備考 | |
落語協会理事付役員 (2001年 - 2006年) 落語協会監事 (2006年 - 2020年) 落語協会相談役 (2020年 - ) | |
二代目柳家 さん八(1944年10月3日 - )は、東京都江戸川区平井出身の落語家。落語協会所属で、同協会の相談役。本名∶清水 聰吉。出囃子は『東雲節』。
来歴
[編集]江戸川区立松江第二中学校、東京都立江東工業高等学校を卒業後、印刷会社に入社して約3年間勤務した。その後親の反対を押し切り七代目立川談志に入門、柳家そう助を名乗るが破門になる。1966年12月に五代目柳家小さんに再入門。翌年6月に前座となる。前座名はそのまま「そう助」。
1971年11月、三遊亭歌司、金原亭駒三郎、橘家竹蔵、三遊亭歌橘、三遊亭楽松、林家九蔵、三遊亭朝治と共に二ツ目昇進し、さん八と改名。1980年に第一回真打認定試験に合格し1981年9月に林家九蔵、柳家小袁治、十代目土橋亭里う馬と共に真打昇進。また、国立花形演芸会賞金賞を受賞。
2001年10月に落語協会理事付役員に就任し、2006年6月に落語協会監事に転任した。2020年に監事を退任し、落語協会相談役となる。
芸歴
[編集]人物
[編集]三遊亭歌司、三遊亭圓丈、古今亭志ん駒、柳家さん遊、柳家小団治、三遊亭圓龍、むかし家今松、古今亭志ん五、金原亭馬の助、橘家竹蔵、柳家小袁治と共に同期会「落友舎」を結成している。
役職
[編集]活動
[編集]古典落語、世話講談、そして『私落語』と題した創作落語を演じる。創作落語(実録噺)の中には、東京大空襲をテーマにした『私は見ていた?東京大空襲 夜話』がある[2]。 1980年代には田中角栄、福田赳夫、大平正芳の物真似でもテレビで人気を博した。
著書
[編集]- 八っつぁんの落語一代記 噺家の来た道、日本の来た道(2015年1月7日、彩流社)- 共著・清水しゅーまい
脚注
[編集]- ^ “協会概要”. 落語協会 (2022年6月29日). 2022年9月13日閲覧。
- ^ “落語で平和憲法考える “禁演”にしちゃいけません 演目は東京大空襲”. しんぶん赤旗. 日本共産党 (2006年5月3日). 2020年10月21日閲覧。