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三遊亭若圓歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三遊亭さんゆうてい 若圓歌わかえんか
San'yûtei Wakaenka
三遊亭(さんゆうてい) 若圓歌(わかえんか) San'yûtei Wakaenka
三遊亭若圓歌定紋「かたばみ」
本名 公文くもん おさむ
生年月日 1946年7月3日
没年月日 (2024-04-07) 2024年4月7日(77歳没)
出身地 日本の旗 日本東京都文京区
師匠 三代目三遊亭圓歌
弟子 四代目三遊亭歌扇
名跡 1.三遊亭歌五
(1969年 - 1974年)
2.三遊亭歌文
(1974年 - 1987年)
3.三遊亭歌慎
(1987年 - 1993年)
4.三遊亭若圓歌
(1993年 - 2024年)
出囃子 大名行列
活動期間 1969年 - 2024年
活動内容 落語家
1969年 - 1979年
1987年 - 2024年
漫談家
1979年 - 1987年
所属 落語協会
受賞歴
1991年1月∶国立演芸場若手花形演芸銀賞

三遊亭 若圓歌(さんゆうてい わかえんか、1946年7月3日 - 2024年4月7日)は、落語協会所属の落語家東京都文京区出身。本名∶公文 治出囃子は『大名行列』、定紋は『片喰』。

来歴

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タクシー運転手を経て、1969年1月に二代目三遊亭歌奴に入門。歌五を名乗り内弟子として前座修行する。その後1974年3月に歌文と改名。

1977年1月に8年間の内弟子生活を終わる。1979年3月[1]、落語協会色物・漫談家として活動を開始する。1987年8月に落語家に復帰、歌慎の名前で二ツ目となる。

1993年9月に古今亭菊寿入船亭扇海柳家喜多八三代目入船亭扇蔵四代目柳亭市馬柳家さん生柳家はん治全亭武生古今亭志ん上と共に真打昇進し、若圓歌に改名。1991年1月に国立演芸場若手花形演芸銀賞受賞。

2017年4月、師匠三代目三遊亭圓歌が死去。その際圓歌門下でまだ二ツ目だった弟弟子三遊亭歌扇を預かり弟子とする。歌扇は2020年3月に真打昇進した。

2024年4月7日1時29分、膵臓がんのため、死去した。訃報は同月12日、落語協会より公表された。生前最後の寄席出演は、2023年1月10日の浅草演芸ホールとなった[2][3]

芸歴

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弟子

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受賞歴

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  • 1991年(平成3年)1月 - 国立演芸場若手花形演芸銀賞

脚注

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  1. ^ 落語協会公式プロフィールによる。寄席演芸家名鑑では1977年と記述される。
  2. ^ 三遊亭若圓歌 訃報 - 一般社団法人落語協会 2024年4月12日
  3. ^ 三遊亭若圓歌さん死去 膵臓がん 91年に国立演芸場花形落語会銀賞受賞 - デイリースポーツ online 2024年4月12日

参考文献

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  • 落語協会ホームページ
  • 東京かわら版増刊号 東西寄席演芸家名鑑

外部リンク

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