三重の獅子舞
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三重の獅子舞(みえのししまい)とは佐賀県佐賀市諸富町大字為重の新北神社に伝わる獅子舞。1964年(昭和39年)5月23日に県指定重要無形民俗文化財に指定された[1]。1985年(昭和61年)10月5日の第28回九州地区民俗芸能大会で諸富町無形文化財保存会が佐賀県代表として「三重の獅子舞」を披露した[2]。毎年、10月中の日曜日に五穀豊穣を願って奉納されている[3][4]。
祭りの由来
[編集]約600年前に越後国(新潟県)から伝わり、江戸時代に蓮池藩主鍋島直澄[5]が川副郷三重の川副代官に伝授させたといわれている[6]。2024年現在、越後国には同系統の獅子舞は伝承されてなく確かなものとはいえない[7]。
肩車や東部に人を乗せる二段継ぎ、三段継ぎなどで高く舞われる[8]こともあるなど曲芸的な要素があり[9]「特異な民俗芸能」と説明する資料もある[8]。
役名
[編集]獅子舞の諸役は、奉行、世話役、どら、鼓、笛、高張提灯(たかはりちょうちん)持ち、めずり、獅子使いなどがあり、総勢60名以上で、いずれも三重の青壮年が中心となるが[5][7]、1991年時点で三重地区だけでは若者が不足しているため、近隣の地区からの応援も含めて伝承している[9]。めずりとは獅子をなだめる役のことで、児童が担う場合もある[4]。
衣装
[編集]奉行役は紋付に陣笠をかぶる。どら役は裃に笠をかぶって、白足袋を履き、草履の緒は白紙と白い布を巻いて、胸の前に薄手の太鼓を吊るす。鼓役と笛役はどらと同じ衣装である。最近は鼓の役はない。笛は現在は立笛である。獅子をあやすめずり役は紋付に野袴、豆絞りの後鉢巻の姿で、約1mの小竹に赤青だんだらの色紙を撒いて、両端に紙房をつけためずり竹を2本ずつ持つ。獅子使いは、紺の法被にパッチ、法被の背には「獅子」の文字があって、帯は黄色である[10]。
獅子頭
[編集]獅子頭は幅39cm、高さは45cmで重さは約7.6kgで、顎の部分は木製、他の部分は和紙を重ね漆をかけて作り、額には多くの細い紙垂(しで)を垂らしている。雄獅子の色は青翠は口は開き、雌獅子の色は赤褐色で口は閉じている。頭部の中には、「いさみ」と呼ばれる鉄でできた横棒に七つの銅できた環がはめてある。強く振ると頭部から音が出る。幌は「獅子の着物」と呼ばれ、長さは4.5mあり、頭部の前垂れは約1.8mで、頭の色と同系色の色である。直径4cmほどの白い綿玉がところどころにつけられ、尾はイチブの皮を細く裂いたものがつけられている[7]。
外部リンク
[編集]出典
[編集]- ^ 佐賀県教育委員会 編『佐賀県の文化財』佐賀新聞社、1994年3月、306頁。ISBN 4-88298-054-1。
- ^ 『新郷土452号』新郷土刊行協会、1985年10月25日、18頁。
- ^ “三重の獅子舞”. さがの歴史・文化お宝帳. 2024年11月29日閲覧。
- ^ a b “赤、青の獅子勇壮に 諸富町・新北神社で「三重の獅子舞」 佐賀市 | まちの話題 | 佐賀県のニュース”. 佐賀新聞 (2024年11月30日). 2024年11月29日閲覧。
- ^ a b 『分県トラベルガイド佐賀』株式会社主婦と生活社、1971年11月15日、59-60頁。
- ^ 野澤伸平『歴史散歩㊶佐賀県の歴史散歩』株式会社山川出版社、2012年7月20日、71頁。
- ^ a b c 『諸富町史下巻』諸富町史編纂事務局、1984年3月30日、1222頁。
- ^ a b 佐賀県教育委員会 編『佐賀県の文化財 : 文化財が語りかける佐賀の歴史と文化』新郷土刊行協会、1986年3月、258頁。doi:10.11501/12419569 。
- ^ a b 芸能学会 編『芸能 33(2)(384)』芸能発行所、1991年2月、36-37頁。doi:10.11501/2276673 。
- ^ 諸富町史編纂委員会 編『諸富町史』1984年3月30日、1220-1221頁。