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三陸鉄道36-300形気動車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三陸鉄道36-300形気動車
36-400形(401)
基本情報
製造所 新潟鐵工所東急車輛製造
製造年 1989年
製造数 4
運用開始 1990年
運用終了 2006年[要出典]
消滅 2006年(ミャンマー国鉄に売却)
主要諸元
軌間 1067 mm
最高速度 95 km/h
車両定員 95名(36-300形、座席44名)
101名(36-400形、座席52名)
自重 28.5t(36-300形)
28.1t(36-400形)
全長 16,300 mm
全幅 2,828 mm
全高 3,980 mm
車体 普通鋼
台車 NP-120D(動台車)
NP-120T(従台車)
動力伝達方式 液体式
機関出力 250PS (DMF13HS)
搭載数 1基 / 両
保安装置 ATS-Ps
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三陸鉄道36-300形気動車(さんりくてつどうさんりく300がたきどうしゃ)は、かつて三陸鉄道で使用されていた気動車である。

本稿では、同形の36-400形気動車についても記す。

概要

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横浜博覧会協会121-122
(後の302-402)
36-400形車内

1989年平成元年)に開催された横浜博覧会における臨港線(日本丸駅 - 山下公園駅)での列車運行に際し、同博覧会協会所有車として新潟鐵工所で2両編成2本が製造された。基本的に新潟鐵工所の軽快気動車NDCに準拠しているが、車体や内装(東急車輛製造が担当)は贅を凝らしたつくりとなっている。明治時代の路面電車風のレトロ調デザインが特徴で、屋根を二重屋根としてその内側に冷房装置を、前照灯を前面下部に設置していた。製造時期が改元に重なったため、「昭和64年製」の銘板が珍しかった。

博覧会終了翌年の1990年(平成2年)に岩手県日本宝くじ協会の資金提供を受け1億8600万円で購入、前面窓の固定と300形へのトイレの設置を行い、宝くじ号として三陸鉄道に入線した。

ジャンパ線の関係で従来車との総括制御ができなかったため、単独の運用を組んで使用された。

車両一覧

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車番 愛称 塗装 横浜博時代の旧番 横浜博時代の愛称 廃車
36-301 36-401 おやしお モスグリーン 111 112 汐風号 2004年6月30日
36-302 36-402 くろしお ワインレッド 121 122 浜風号 2006年1月29日

廃車後

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2004年(平成16年)[要出典]に廃車になり、 2007年(平成19年)1月16日、岩手県が千葉県の業者を通じてミャンマー国鉄に売却した。その際、かつて運用された横浜博覧会の会場となった横浜港からミャンマーへ送られた。現地ではモニタールーフ風の装飾と冷房等が撤去され、現地標準色であるアイボリーと赤のツートンカラーとなった。当初はヤンゴン近郊で36-300形と36-400形の間に小型客車を連結して使用された。現在は4両それぞれが分散して他の日本製気動車等と併結したり、小型客車を牽引する等で使用されているが、荒廃による運用離脱と再整備をくりかえしている模様である。

参考文献

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  • 寺田裕一 「ローカル私鉄車輌20年 第3セクター・貨物専業編」 - JTB ISBN 4-533-04512-X(2002年)