上久堅村
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かみひさかたむら 上久堅村 | |
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廃止日 | 1964年3月31日 |
廃止理由 |
新設合併 飯田市、千代村、竜江村、上久堅村 → 飯田市 |
現在の自治体 | 飯田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 長野県 |
郡 | 下伊那郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 16.34 km2. |
総人口 |
3,222人 (国勢調査、1960年) |
隣接自治体 | 飯田市、下伊那郡千代村、竜江村、喬木村 |
上久堅村役場 | |
所在地 | 長野県下伊那郡上久堅村 |
座標 | 北緯35度27分39秒 東経137度52分57秒 / 北緯35.46092度 東経137.88239度座標: 北緯35度27分39秒 東経137度52分57秒 / 北緯35.46092度 東経137.88239度 |
ウィキプロジェクト |
上久堅村(かみひさかたむら)は長野県下伊那郡にあった村。現在の飯田市大字上久堅にあたる。
地理
[編集]- 山:神之峰、卯月山、権現山
歴史
[編集]- 1881年(明治14年)9月9日 - 近世以来の久堅村が分割して上久堅村・下久堅村となる。
- 1884年(明治17年)5月19日 - 一部が分立して虎岩村(後に下久堅村の一部)となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上久堅村が単独で自治体を形成。
- 1964年(昭和39年)3月31日 - 飯田市に編入。同日上久堅村廃止。
経済
[編集]村一帯には、崩壊地やはげ山が広がっており、1917年からは長野県による治山事業が、1937年からは国直轄の治山事業が戦時中も通して行われていた。一時は、村の全770戸の中から600人余りが治山事業に従事するなど、村の農村経済を支えるための事業が村を支えるという逆転現象もあった。昭和初期の村内に150ha以上も存在した荒廃地は次第に復旧し、1956年には直轄治山事業も終了。荒廃地の多くは森林を回復している[1]。
交通
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ 小池新太郎「砂防学校と共に歩む官民一体となって取り組んだ上久堅地区の治山事業」『水利科学』第62巻第2号、日本治山治水協会、2018年、127-135頁、doi:10.20820/suirikagaku.62.2_127。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 20 長野県
関連項目
[編集]- 長野県の廃止市町村一覧
- 満蒙開拓移民 - 1939年(昭和14年)現地に分村成立。