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上原重太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上原 重太郎
生誕 1921年10月14日
日本の旗 日本 兵庫県神戸市
死没 (1945-08-19) 1945年8月19日(23歳没)
日本の旗 日本 埼玉県入間郡豊岡町
所属組織 日本陸軍
軍歴 1936 - 1945
最終階級 陸軍大尉
墓所 日本の旗 日本 鹿児島県姶良市
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上原 重太郎(うえはら じゅうたろう、1921年10月14日 - 1945年8月19日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉宮城事件森赳近衛師団長殺害事件の首謀者の一人。

生涯

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兵庫県神戸市生まれ。父は船員であった。京都府立二中広島陸軍地方幼年学校から陸軍士官学校卒(55期)。陸軍戸山学校生徒を経て、陸軍挺進練習部(現 新田原基地)で落下傘降下を学ぶ。1944年陸軍航空士官学校(現入間基地)へ移る。

1945年8月15日、近衛師団司令部で森師団長を刺殺。同月19日、陸軍航空士官学校(修武台)裏の航空神社前で自決。なお、入間基地内に「上原大尉自刃之碑」がある。

参考文献

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外部リンク

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