コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

上山市立山元中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上山市立山元中学校
上山市立山元小中学校校舎
上山市立山元小中学校校舎
地図北緯38度11分8.0秒 東経140度13分31.5秒 / 北緯38.185556度 東経140.225417度 / 38.185556; 140.225417座標: 北緯38度11分8.0秒 東経140度13分31.5秒 / 北緯38.185556度 東経140.225417度 / 38.185556; 140.225417
国公私立の別 公立学校
設置者 上山市
共学・別学 男女共学
所在地 999-3171
山形県上山市狸森久々取511-1
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

上山市立山元中学校(かみのやましりつ やまもとちゅうがっこう)は、山形県上山市にあった公立中学校

概要

[編集]

上山市郊外の山あいに位置し、「山びこ学校」の愛称で親しまれた。豪雪地帯にあるため、1978年には体育館の屋根の鉄骨が曲がり、倒壊の危険性が指摘された出来事もあった[1]

2008年度の生徒数は3年生の3人のみであった。2009年3月15日にこの生徒らの卒業式を以て、生徒数の減少から閉校した。同3月22日には、中学校において約300人が出席し、閉校式・お別れの会が催され、OBらが挨拶に立ち名残を惜しんだ[2]

2012年春、旧校舎は山元地区公民館兼診療所として衣替えし、市役所の山元支所なども併設されている。また、2階には資料室も設置されているが、資料散逸のため、往時の山元中学校を偲ぶ展示物は僅少である[3]

学区

[編集]
  • 上山市立山元小学校の学区。

沿革[4]

[編集]
  • 1947年(昭和22年) - 山元村立山元中学校を創設。
  • 1950年(昭和25年) - 中学校校舎落成。
  • 1951年(昭和26年) - 無着成恭のクラス、中学校2年生の文集「きかんしゃ」が『山びこ学校』として発刊される。同年7月11日、天野貞祐文部大臣が視察に来校。
  • 1952年(昭和27年)5月1日 - 『山びこ学校』が映画化し公開される
  • 1954年(昭和29年) - 体育館落成
  • 1957年(昭和32年) - 町村合併により上山市立山元中学校に改称
  • 1958年(昭和33年) - 校歌、帽章を制定
  • 1969年(昭和44年) - 図書館が新設。共同調理場も完成し、完全給食となる。
  • 1972年(昭和47年) - プールが完成
  • 1982年(昭和57年) - 小白府分校が休校
  • 1985年(昭和61年) - 新グラウンドが完成
  • 2001年(平成13年) - 特認校に指定
  • 2005年(平成17年) - 山元小学校が休校

象徴

[編集]

校歌

[編集]

 しずかな山のふところに 山元学校厳しい ほた火のにおう元気な子供 明るい前途こころに見詰め みんな仲よく学ぼうよ 真上に空は真青だ

 サイレン高く鳴りわたる 山元学校新しい 蚕のにおうやさしい子供 輝く彼方こころに誓い みんな元気に学ぼうよ あたりの山は真青だ

周辺

[編集]

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ ストーブ7台で消雪作戦 山びこ学校体育館つぶれそう『朝日新聞』1979年(昭和54年)2月13日夕刊 9面
  2. ^ 「誇り・戸惑い交錯卒業生ら、名残惜しむ「山びこ学校」上山・山元中が閉校」『朝日新聞』山形版 2009年3月23日
  3. ^ 「昭和史再訪 文集「山びこ学校」発刊 26年3月 農村の現実写し、反響を呼んだ」『朝日新聞』夕刊 2012年4月21日
  4. ^ 市報(2006.4.1号)