上本佐倉
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上本佐倉 | |
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北緯35度43分5.2秒 東経140度15分46.8秒 / 北緯35.718111度 東経140.263000度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
郡 | 印旛郡 |
市町村 | 酒々井町 |
標高 | 35 m |
人口 | |
• 合計 | 1,043人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
285-0925[2] |
市外局番 | 043[3] |
ナンバープレート | 千葉 |
※座標・標高は上本佐倉五良青年館付近 |
上本佐倉(かみもとさくら)は、千葉県印旛郡酒々井町の町丁・大字。郵便番号285-0925[2]。
地理
[編集]北は本佐倉、東は酒々井、南は本佐倉、西は佐倉市将門町、北西は佐倉市大佐倉に隣接している。
歴史
[編集]江戸期は本佐倉町であり、下総国印旛郡のうち。佐倉藩領。「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに112石余。なお、「旧高旧領」などでは本佐倉村のうちになっている。佐倉城が鹿島台に移転したことにより佐倉が本佐倉となり、さらに成田街道の往来が盛んになると、街道沿いに商家・旅宿が立ち並び間(あい)の宿が形成され、街道筋だけが村方から独立して町方が誕生した。明和2年明細帳によれば、町場の長さ25町36間、家数58・人数255、馬12、竹御林1か所、辻番所1か所、小物成は茶園代永14文・山銭鐚76文のほかは町役をつとめるため免除、酒々井宿賃伝馬人足は1町分を酒々井町7・本佐倉町3の割合で負担した(区有文書/酒々井町史史料集1)。また、佐倉牧捕馬の際は、酒々井野馬御払場に水夫人足を差出した。神社は、五良神社・神明神社・白山大神社、寺院は日蓮宗善竜寺・長勝寺、浄土宗清光寺・浄真寺・善法院、真言宗竜性寺などがあったが、のち廃寺となり、現在は清光寺だけである。なお、清光寺は徳川家康の父、広忠の歯骨墓があることにより朱印50石を与えられた。明治6年千葉県に所属。明治22年酒々井町の大字上本佐倉となる[4]。明治30年の成田鉄道(現成田線)開通により旧成田街道筋の商家・旅宿などは衰退[5]
年表
[編集]世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字・丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
上本佐倉 | 314世帯 | 719人 |
上本佐倉一丁目 | 146世帯 | 324人 |
計 | 460世帯 | 1,043人 |
小・中学校の学区
[編集]町立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
大字・丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
上本佐倉 | 全域 | 酒々井町立酒々井小学校 | 酒々井町立酒々井中学校 |
上本佐倉一丁目 | 全域 |
交通
[編集]バス
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “酒々井町の人口と世帯”. 酒々井町. 2017年11月25日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月25日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月25日閲覧。
- ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 844頁
- ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 282頁
- ^ “小・中学校の通学区域”. 酒々井町 (2014年3月31日). 2017年10月25日閲覧。
- ^ 路線バスのご案内 - ちばグリーンバス、2014-02-02閲覧。
- ^ a b c ちばグリーンバス 路線図 H25.7.20現在、2014-02-02閲覧。
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