上杉憲秋
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時代 | 室町時代中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 享徳4年1月21日(1455年2月7日) |
別名 | 憲顕 |
墓所 | 東京都日野市の金剛寺(高幡不動) |
官位 | 中務大輔、右馬助 |
幕府 | 室町幕府 |
氏族 | 犬懸上杉家 |
父母 | 父:上杉氏憲(禅秀) |
兄弟 | 憲方、憲秋、憲春、持房、快尊、禅欽蔵主、教朝、岩松満純正室、那須資之室、千葉兼胤室 |
子 | 憲久、憲定 |
上杉 憲秋(うえすぎ のりあき)は、室町時代中期の武将。犬懸上杉家5代当主。
略歴
[編集]上杉氏憲(禅秀)の子として誕生。応永23年(1416年)の上杉禅秀の乱の際には、父に従い一軍を率いて4代鎌倉公方・足利持氏と戦ったが、途中で病を得て戦線を離脱したため京へ逃れ、命を長らえた。
後に享徳3年(1455年)からの享徳の乱の緒戦において、関東管領・上杉憲忠を殺害した5代鎌倉公方・足利成氏(持氏の子)を討伐するために上杉顕房や長尾景仲らと共に転戦した。享徳4年(1455年)の分倍河原の戦いにおいて先陣を務めたものの、成氏の猛攻に遭い敗れ、現在の高幡不動の地において自刃した。同所に墓所が残る。