上村耕作
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上村 耕作[1][2](うえむら こうさく、1877年(明治10年)2月8日[3] - 1936年(昭和11年)12月1日[4])は、日本の政治家・衆議院議員[3](奈良市選出、憲政会[5][6])、会社重役[6]。族籍は奈良県平民[3][5]。
経歴
[編集]奈良市生まれ[1][6]。奈良県生駒郡伏見村[2](現・奈良市)、平民・上村光亨の長男[3][5]。郡山中学校、第三高等学校を経て[1]、1905年、京都帝国大学法科大学を卒業して法学士の称号を得た[3]。1907年、家督を相続した[3][5]。
大韓帝国財務官兼農工銀行監理官、東洋拓殖参事、奈良銀行(のち国立六十八銀行、現南都銀行)監査役、豊国火災保険東京支店長[3]、同社支配人、千日土地建物取締役等を務めた[5][6]。
1917年(大正6年)4月20日に実施された第13回衆議院議員総選挙に出馬し当選する。
人物
[編集]漢詩、書画をよくし、鴻東と号す[1]。保険学に通じる[2]。著書に『労働保険論』(東京 森江書店、1906年4月出版)がある[7]。憲政記念館には上村耕作文書が保存されている。
住所は東京牛込白銀町[1][3]、下谷区中根岸[2]、奈良県奈良市東城戸町[5]、原籍は奈良県生駒郡伏見村大字疋田[1][7]。
家族・親族
[編集]- 上村家
- 父・光亨[3]
- 母・チョウ[3][5](1859年生、奈良、茂阪庄次郎の二女)[3][5]
- 妻・捨菊(すてぎく、島根士族、塩野門之助の長女)[1][5]
- 長男[1]
- 次男[1]
- 娘・康子[注 1](1913年 - 2009年、井田完二の妻、佐保短大教授)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『東京社會辭彙』ウ5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月21日閲覧。
- ^ a b c d 『大正名家録』80頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年1月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第4版』う14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月25日閲覧。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』p.89
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第5版』う18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月25日閲覧。
- ^ a b c d 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』237頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月25日閲覧。
- ^ a b 『労働保険論』(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 上村耕作『労働保険論』森江書店 1906年。
- 『東京社會辭彙』毎日通信社 1913年。
- 原田道寛編『大正名家録』二六社編纂局 1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所 1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所 1918年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局 1936年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局 1990年。