上毛野大川
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時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下主計頭 |
主君 | 光仁天皇→桓武天皇 |
氏族 | 上毛野公 |
子 | 穎人 |
上毛野 大川(かみつけの の おおかわ)は、奈良時代の貴族。姓は公。官位は従五位下・主計頭。
経歴
[編集]宝亀8年(777年)遣唐録事として渡唐して長安に至り、翌宝亀9年(778年)日本に帰国する。宝亀10年(779年)遣唐使を務めた功労により外従五位下に昇叙された。
桓武朝に入ると、大外記・山背介を歴任し、延暦3年(784年)外従五位上、延暦5年(786年)には従五位下(内位)・主計頭に叙任される。
光仁天皇の詔を受けて、中納言・石川名足と共に称徳・光仁朝の事業を編集し20巻に纏めた。のちに桓武朝においてこれがさらに藤原継縄らによって整備され、『続日本紀』として成立した。[1]
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上。遣唐録事
- 宝亀10年(779年)4月21日:外従五位下
- 時期不詳:大外記
- 天応元年(781年)5月25日:兼山背介。12月23日:御装束司(光仁上皇崩御)
- 延暦3年(784年)12月2日:外従五位上
- 延暦5年(786年)正月7日:従五位下。6月9日:主計頭