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上田電灯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上田電灯株式会社
種類 株式会社
本社所在地 大日本帝国の旗 長野県小県郡上田町1325番地3[1]
設立 1900年(明治33年)10月14日[2]
解散 1911年(明治44年)11月22日[3]
信濃電気と合併し解散)
業種 電気
事業内容 電気供給事業
代表者 小野栄左衛門(社長)
公称資本金 20万円
払込資本金 16万2500円
株式数 旧株:3000株(額面50円払込済)
新株:1000株(12円50銭払込)
総資産 23万8990円(未払込資本金除く)
収入 1万3971円
支出 9074円
純利益 4879円
配当率 無配当
決算期 6月末・12月末(年2回)
特記事項:資本金以下は1911年6月期決算時点[4]
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上田電灯株式会社(うえだでんとう かぶしきがいしゃ、旧字体上田電燈株式會社󠄁)は、明治時代長野県上田市(当時は小県郡上田町)に存在した電力会社である。1900年(明治33年)に設立され、1902年(明治35年)に県内5番目の電気事業者として開業したが、事業を広域化できないまま1911年(明治44年)に後発の信濃電気へと吸収された。

沿革

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1898年(明治31年)5月、長野県で最初の電気事業者として長野市長野電灯が開業した[5]。これ以降、長野県では1900年(明治33年)にかけて松本電灯東筑摩郡松本町)・飯田電灯(下伊那郡飯田町)・諏訪電気諏訪郡上諏訪町)の順で新たに電気事業が開業していく[5]

そうした中、東信地方の町小県郡上田町(1919年市制施行し上田市に)では、町の有志が協議し水力発電を電源として町に電気を供給する上田電灯株式会社の起業を決定[6]。設立手続きに時間を要したものの[7]、1900年10月14日資本金5万円で上田電灯を設立した[2]。設立時の取締役は南川治三郎(専務。紙商「醋屋」[8])・荒井甚三郎(紙商「和泉屋」[9])・中村友太郎・中澤勝治郎(活版所経営[8])・中山禎次郎という顔ぶれであった[2]北佐久郡小沼村から参加の中山を除き取締役は上田町の人物である[2]。こうして会社発足に至ったものの逓信省への電気事業許可申請の手続きにも不備があり、事業許可は翌1901年(明治34年)5月までずれ込んだ[7]

役員には異動が多く、開業までの間でも1901年6月に中村友之助に代わり埴科郡戸倉村の坂井量之助(地主、戸倉上山田温泉の開祖[10])が取締役に就任し[11]、同年8月には長野市の森田斐雄(旧上田藩士族・元長野県会議長[12])と上田町の柳澤富八(醸造業「酒富」[8])が取締役に選出されて[13]、森田が社長、南川が常務となっている[14]。発電所その他一切の工事は1902年(明治35年)7月4日に完了し、12日に上田町内のうち海野町・横町・原町で試験点灯が行われた[15]。試験成績は良好で、多くの見物人が集まったという[15]。開業は1か月後の8月11日のことで、諏訪電気に続く長野県下で5番目の電気事業者となった[5]。開業初期、同年12月末時点の電灯点火数は1018灯であった[6]。当初は上田監獄や郵便局停車場などの施設を大口需要家とした[15]

発電所は市街地から6キロメートルほど北に離れた千曲川(信濃川)支流の神川に設置された[7]。発電所出力は当初60キロワット1906年(明治39年)1月の増設後は120キロワットである[15]。増設後は2000灯余りの電灯を取り付けたが、供給区域内(1907年末時点では小県郡上田町・神科村[16])にある人家のうち約3分の1に点灯した時点で新規需要に応じられなくなった[17]。そのため上流側に2か所目の発電所を建設する運びとなり[17]1910年(明治43年)11月にこれを完成させた[15]。第二発電所の発電力は当初120キロワット[18]。発電力増強ののち、翌1911年(明治44年)6月時点における電灯点火数は4906灯(需要家数1672戸)、電動機数は15台(計27馬力)となっている[6]

経営について見ると、開業後1905年(明治38年)時点での取締役は中山禎次郎(社長)・中澤勝治郎(常務)・小野栄左衛門(1902年8月取締役選出[19]。小県郡県村)・南川治三郎・柳澤富八の5名であった[20]。同年3月6日、上田電灯は2万円の増資を決議[21]。さらに1908年(明治41年)1月18日に8万円の増資を決議し[22]、資本金を15万円としている。この時期取締役の顔ぶれに変動はなかったが、1907年時点では小野栄左衛門が社長、中澤勝治郎が常務をそれぞれ務める[17]。1910年1月成澤伍一郎(上田の[8])が取締役に補選される[23]。この段階での取締役は小野(社長)・柳澤(常務)・中山・南川・成澤の5名であったが[24]、同年7月の改選で取締役は小野・柳澤と勝俣英吉郎(上田の医師[25])・石森文次郎(上田の呉服商「森田屋」[9])・小宮山寅之助の5名に替わった[26]。翌年時点では小野が社長、小宮山が常務をそれぞれ務める[4]。なお1910年11月17日に5万円の追加増資が決議されており[27]、資本金20万円の会社となっている。

1910年に入ると、上高井郡須坂町(現・須坂市)に本社を置く信濃電気が小県郡南部へと進出する動きをみせた[15]。同社は1903年(明治36年)12月に開業した、上田電灯よりも後発の電力会社である[5]。信濃電気の進出に対抗すべく上田電灯も供給区域の拡張に乗り出したが[15]、1911年7月8日第二発電所が付近で発生した山崩れに巻き込まれ被災、発電不能の状態となってしまう[6]。この危機に際して信濃電気が技術者を被災現場に派遣したことで、上田電灯と信濃電気両社の重役が接触する機会ができた[6]。そして翌8月には両社間に合併仮契約が成立する[6]株主総会による合併可決を経て9月に逓信省からの合併認可があり[6]、同年11月22日付で上田電灯は信濃電気に合併され解散した[3]。信濃電気では上田電灯の合併に伴い上田に支店を開設し、順次上田・小県方面での事業を拡大していった[6]

供給区域

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1910年末時点での供給区域は、長野県のうち小県郡上田町神科村(どちらも現・上田市)の2町村のみであった[28]

小県郡の他地域への浸透は信濃電気時代のことである。信濃電気は上田電灯を合併した1911年11月中に郡南東部の神川村塩川村長瀬村丸子村および県村(現・東御市)への供給を開始[29]。南西部では1913年(大正2年)より順次別所村中塩田村東塩田村西塩田村などへの供給を始め[30]1915年(大正4年)には青木村も点灯した[31]。南部の山間では1914年(大正3年)7月長久保新町(現・長和町)、1916年(大正5年)武石村にて供給を開始している[32]。郡北部では、1914年ごろに本原村や発電所のある長村での供給を開始[33]。遅れて1920年(大正9年)4月には傍陽村でも点灯した[33]

小県郡南部の和田村(現・長和町)は同村に発電所を構える諏訪電気の供給区域に入ったが[15]、その他の郡内34町村は1916年までに信濃電気の供給区域に入っている(同時点では傍陽村・西内村は未開業)[34]

発電所

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地図
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Maps: terms of use
5 km
3
2
1
神川の発電所位置
1
畑山発電所(1901年建設)
2
横沢第一発電所(1910年建設)
3
横沢第二発電所(1928年建設)

上田電灯では小県郡神科村字畑山(現・上田市上野)と長村字横沢(現・上田市真田町長)の2か所に水力発電所を構えた[6]。前者は畑山発電所、後者は横沢第一発電所というが[15]、上田電灯時代の資料には後者は「長村発電所」という発電所名で記載されている[4]

1902年の開業時に建設された発電所は畑山発電所である[7]。工事は長野電灯と同じく東京品川電灯が請け負った[7]主任技術者として発電所工事に携わった人物に、元松本電灯諏訪電気主任技術者で後に九州帝国大学教授となる降矢芳郎がいる[7]。畑山発電所は上田の市街地から北へ6キロメートルほど離れた千曲川(信濃川)支流の神川沿いに立地[7]。発電所建屋から約800メートル離れた神川(真田川)・傍陽川の合流点から取水し落差16メートルを得て発電するという仕組みであった[7]水車米国マコーミック製水車、発電機芝浦製作所三相交流発電機(出力60キロワット・周波数60ヘルツ)で2組の設置[18]。うち1組は1906年1月の増設である[15]

横沢第一(長村)発電所は1910年11月に竣工した[15]。畑山発電所の上流側、神川(真田川)に立地[17]。設備はドイツフォイト製水車および芝浦製作所製三相交流発電機(周波数60ヘルツ)からなる[18]。発電機の出力は400キロワットであるが、1910年末時点では出力120キロワットに制限されていた[18]。1911年7月、付近で発生した山崩れに巻き込まれ発電不能となるが[6]、同年9月信濃電気の支援により復旧された[7]。なお信濃電気合併後の1911年末時点では発電機の出力制限が解除されている[35]

信濃電気時代、1918年時点の設備一覧表では、畑山発電所の設備は芝浦製フランシス水車・250キロボルトアンペア三相交流発電機1組となっており、出力は65キロワットに減少している[36]1925年(大正14年)3月、畑山発電所では出力制限を解除するための改修工事が完成し[37]、同年5月出力が220キロワットに引き上げられた[38]。さらに1928年(昭和3年)12月横沢第二発電所(出力280キロワット[38])が運転を開始し[39]、翌1929年(昭和4年)9月には横沢第一発電所の出力増加工事(出力840キロワットへ[38])が完了した[40]。これら神川の3発電所は1951年(昭和26年)以後は中部電力に帰属するが、畑山発電所のみ1966年(昭和41年)5月に廃止されており現存しない[38]

脚注

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  1. ^ 商業登記」『官報』第8535号附録、1911年12月1日
  2. ^ a b c d 商業登記」『官報』第5200号附録、1900年10月30日
  3. ^ a b 商業登記」『官報』第8535号、1911年12月1日
  4. ^ a b c 『株式年鑑』電灯17頁。NDLJP:803815/108
  5. ^ a b c d 『中部地方電気事業史』上巻40-42頁
  6. ^ a b c d e f g h i j 『上田市史』下巻720-721頁
  7. ^ a b c d e f g h i 『身近なエネルギー産業遺産』158-159頁
  8. ^ a b c d 『商工名鑑』長野県75-86頁。NDLJP:925185/422
  9. ^ a b 『日本全国商工人名録』856・858頁。NDLJP:994140/530
  10. ^ 『長野県歴史人物大事典』319頁
  11. ^ 商業登記」『官報』第5394号附録、1901年6月27日
  12. ^ 『長野県歴史人物大事典』727頁
  13. ^ 商業登記」『官報』第5432号、1901年8月10日
  14. ^ 『日本全国諸会社役員録』第10回下編441頁。NDLJP:780117/616
  15. ^ a b c d e f g h i j k 『上田小県誌』第3巻896-902頁
  16. ^ 『電気事業要覧』明治40年7頁。NDLJP:805420/24
  17. ^ a b c d 『日本電業者一覧』第3版153-154頁。NDLJP:803761/100
  18. ^ a b c d 『電気事業要覧』明治43年110-111・213-214・276頁。NDLJP:805423/78
  19. ^ 商業登記」『官報』第5732号附録、1902年8月12日
  20. ^ 『日本電業者一覧』明治39年用39頁。NDLJP:803759/35
  21. ^ 商業登記」『官報』第6627号、1905年8月2日
  22. ^ 商業登記」『官報』第7646号、1908年12月19日
  23. ^ 商業登記」『官報』第7979号、1910年1月31日
  24. ^ 『日本全国諸会社役員録』第18回下編489頁。NDLJP:780122/721
  25. ^ 『長野県歴史人物大事典』188頁
  26. ^ 商業登記」『官報』第8129号、1910年7月27日
  27. ^ 商業登記」『官報』第8383号、1911年6月3日
  28. ^ 『電気事業要覧』明治43年18頁。NDLJP:805423/31
  29. ^ 『丸子町歴史年表』99頁
  30. ^ 『塩田歴史年表』123-125頁
  31. ^ 『青木村誌』歴史編下195-196頁
  32. ^ 『丸子町歴史年表』103・106頁
  33. ^ a b 『真田町誌』近代・現代編224-227頁
  34. ^ 『電気事業要覧』第9回32-33頁。NDLJP:975002/36
  35. ^ 『電気事業要覧』明治44年134-135頁。NDLJP:974998/97
  36. ^ 『電気事業要覧』第11回194-195頁。NDLJP:975004/123
  37. ^ 「信濃電気株式会社第45期営業報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)
  38. ^ a b c d 『中部地方電気事業史』下巻339・343・351-352頁
  39. ^ 「信濃電気株式会社第53期営業報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)
  40. ^ 「信濃電気株式会社第54期営業報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)

参考文献

[編集]
  • 逓信省資料
    • 『電気事業要覧』明治40年、逓信省通信局、1908年。NDLJP:805420 
    • 『電気事業要覧』明治43年、逓信省通信局、1911年。NDLJP:805423 
    • 逓信省電気局 編『電気事業要覧』明治44年、逓信協会、1912年。NDLJP:974998 
    • 逓信省電気局 編『電気事業要覧』第9回、逓信協会、1917年。NDLJP:975002 
    • 逓信省電気局 編『電気事業要覧』第11回、逓信協会、1919年。NDLJP:975004 
  • 自治体資料
    • 青木村誌編纂委員会 編『青木村誌』歴史編下、青木村誌刊行会、1992年。 
    • 上田市 編『上田市史』下巻、信濃毎日新聞社、1940年。NDLJP:1684270 
    • 上田小県誌刊行会 編『上田小県誌』第3巻社会篇、小県上田教育会、1968年。NDLJP:3020516 
    • 真田町誌編纂委員会 編『真田町誌』近代・現代編、真田町誌刊行会、2002年。 
    • 塩田町教育委員会 編『塩田歴史年表』塩田町教育委員会、1960年。NDLJP:2993661 
    • 丸子史料研究会 編『丸子町歴史年表』丸子町、1968年。NDLJP:3449228 
  • その他書籍
    • 赤羽篤ほか 編『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1997年。 
    • 浅野伸一・寺沢安正 編『身近なエネルギー産業遺産 ひかりとねつの散策』日本電気協会中部電気協会、2008年。 
    • 北村竹四郎『日本電業者一覧』明治39年用、日本電気協会、1905年。NDLJP:803759 
    • 北村竹四郎『日本電業者一覧』第3版、日本電気協会、1908年。NDLJP:803761 
    • 商業興信所『日本全国諸会社役員録』第10回、商業興信所、1902年。NDLJP:780117 
    • 商業興信所『日本全国諸会社役員録』第18回、商業興信所、1910年。NDLJP:780122 
    • 白崎五郎七 編『日本全国商工人名録』日本全国商工人名録発行所、1892年。NDLJP:994140 
    • 鈴木善作 編『地方発達史と其の人物 長野県の巻』郷土研究社、1941年。NDLJP:1683415 
    • 中部電力電気事業史編纂委員会 編『中部地方電気事業史』上巻・下巻、中部電力、1995年。 
    • 中尾矩市『商工名鑑』名古屋商工社、1912年。NDLJP:925185 
    • 野村商店調査部 編『株式年鑑』野村徳七商店調査部、1912年。NDLJP:803815 

関連項目

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