上野山義直
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 文禄3年(1594年)? |
死没 | 元和8年(1622年) |
改名 | 最上光広→上野山義直 |
別名 | 上山義直 |
主君 | 最上義光→家親→義俊 |
藩 | 出羽国山形藩一門 |
氏族 | 最上氏→上山氏 |
父母 | 父:最上義光、母:清水義氏の娘? |
兄弟 |
最上義康、最上家親、清水義親、 山野辺義忠、義直、大山光隆 |
上野山 義直(かみのやま よしなお)は、江戸時代初期の武将。最上氏の家臣。最上義光の五男。初名は、光広(みつひろ/あきひろ)。
生涯
[編集]天正16年(1588年)、伊達氏との大崎合戦において、叔母・義姫と戦場で面会し和議締結に尽力したとされるが、当時は生まれていないため別の兄弟とみられる。
上山城城主・里見民部、正光ら里見一族が最上義康殺害の事件で追放されると、新たに上山2万1000石を与えられる。最上一門では兄・山野辺義忠を抜き、前城主の里見民部よりも高い石高である。