上野才寿丸
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時代 | 室町時代→戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 上野才寿丸→一色上野刑部少輔? |
別名 | 右馬助、一色上野刑部少輔 |
官位 | 右馬助、刑部少輔 |
幕府 | 室町幕府 外様衆あるいは御供衆 |
氏族 | 上野氏・一色氏 |
父母 | 義父:一色上総介(上野上総介) |
上野 才寿丸(うえの、さいじゅまる)は、室町時代から戦国時代にかけての武士。室町幕府の外様衆あるいは御供衆[1]。
概要
[編集]才寿丸は「上野上総」の猶子であり、始めに右馬助を名乗ったという。上野上総とは、「披露事記録」天文8年(1537年)6月7日条によると、一色上野直政の子で一色上総介とも呼ばれ、明応年間(1492年〜1502年)には奉公衆・五番衆であった。上総介を名乗った一色氏には、一色有義がいる。
永正年間(1504年〜1521年)に活動した。木下聡は、「披露事記録」の御供衆・一色上野刑部少輔と同一人物であり、記録上では外様衆とされているものの、実際には御供衆であったと推定している[2]。上野刑部少輔を名乗る人物として、『東山殿時代大名外様附』には足利義政の申次を務めた上野政直が見える。
同族と見られる人物に上野与八郎・一色又三郎(後に秋成)兄弟がいる。2人はともに足利義輝の御部屋衆を務めている[3]。