上野町 (愛知県)
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(上野村 (愛知県知多郡)から転送)
うえのちょう 上野町 | |||
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上野村道路元標 | |||
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廃止日 | 1969年4月1日 | ||
廃止理由 |
新設合併 横須賀町、上野町→東海市 | ||
現在の自治体 | 東海市 | ||
廃止時点のデータ | |||
国 | 日本 | ||
地方 | 中部地方、東海地方 | ||
都道府県 | 愛知県 | ||
郡 | 知多郡 | ||
市町村コード | 23448-6 | ||
面積 | 16.64 km2. | ||
総人口 |
30,637人 (国勢調査、1965年10月1日) | ||
隣接自治体 | 名古屋市(南区・緑区)、知多郡横須賀町、大府町 | ||
上野町役場 | |||
所在地 | 愛知県知多郡上野町大字名和字南之山10番地の4 | ||
座標 | 北緯35度02分20秒 東経136度54分37秒 / 北緯35.03889度 東経136.91025度座標: 北緯35度02分20秒 東経136度54分37秒 / 北緯35.03889度 東経136.91025度 | ||
ウィキプロジェクト |
上野町(うえのちょう)は、愛知県知多郡にあった町。現在の東海市北部を町域とした。
沿革
[編集]- 1906年(明治39年)5月1日 - 名和村、荒尾村、富木島村が合併し、上野村が発足[1]。
- 1940年(昭和15年)2月11日 - 町制施行し、上野町となる[2]。
- 1965年(昭和40年)4月29日 - 大字名和の一部を名古屋市緑区大高町へ編入する[3]。
- 1967年(昭和42年)12月1日 - 上野町と名古屋市の境界が変更される[4]。大字名和の一部を緑区へ編入し[3]、緑区大高町の一部を上野町に編入する。
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 横須賀町と合併し東海市となる。
行政
[編集]町役場
[編集]1906年(明治39年)5月の合併当初は大字荒尾字西屋敷89番地に村役場を置いた[1]。
大字荒尾字寄亀64番地の1に上野村役場庁舎を建設し、1910年(明治43年)4月に村役場位置を変更した[5][6][7]。
老朽化に伴って1966年6月に大字名和字南之山10番地の4に移転新築した[5][8]。
1969年に横須賀町と合併して東海市が発足してからも、1979年5月の新庁舎開庁まで暫定的に東海市役所北庁舎として使用された[8][9]。跡地は上野公民館となっている。
教育
[編集]通信
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]名所
[編集]スポーツチーム
[編集]- 富士製鐵名古屋硬式野球部 - 社会人野球の企業チーム。富士製鐵の名古屋製鐵所を拠点に活動。
脚注
[編集]- ^ a b 「町村廃置」『官報』第6843号、印刷局、784–785頁、1906年4月25日。NDLJP:2950184/18。
- ^ 「町村変更」『官報』第3914号、内閣印刷局、807頁、1940年1月26日。NDLJP:2960409/22。
- ^ a b 角川書店 編『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日、865頁。
- ^ 緑区区制20周年記念区誌編纂委員会 編『緑区誌』名古屋市緑区役所、緑区区制施行20周年記念事業実行委員会、1983年10月20日、348頁。
- ^ a b 東海市史編さん委員会 1990, p. 769.
- ^ 愛知県総務部統計課 1951, p. 206.
- ^ 「村役場位置変更」『官報』第8053号、印刷局、728頁、1910年4月29日。NDLJP:2951404/13。
- ^ a b 東海市企画部秘書課 1970, p. 177.
- ^ 東海市史編さん委員会 1990, pp. 752–755.
- ^ 市外局番が052の区域(名古屋市など)と同じ単位料金区域(MA)であった。
- ^ 東海市史編さん委員会 1990, p. 960.