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上野秀章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上野 秀章
名前
カタカナ ウエノ ヒデアキ
ラテン文字 UENO Hideaki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-05-31) 1981年5月31日(43歳)
出身地 北海道室蘭市
身長 184cm
体重 80kg
選手情報
ポジション GK
利き足 左足
ユース
1994-1996 日本の旗 室蘭市立鶴ヶ崎中学校
1997-1999 日本の旗 室蘭大谷高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2008 日本の旗 京都サンガF.C.[注 1] 22 (0)
2004-2005 日本の旗 サンフレッチェ広島 0 (0)
2009-2011 日本の旗 徳島ヴォルティス 65 (0)
通算 87 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

上野 秀章(うえの ひであき、1981年5月31日 - )は、北海道室蘭市出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー

来歴

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室蘭大谷高等学校3年の時に出場した第78回全国高等学校サッカー選手権大会では4失点で初戦敗退したにもかかわらずその年の最優秀GKに選ばれるほど、当時の高校レベルのGKでは群を抜いた実力を持っていた。

2000年京都パープルサンガへ入団。京都では元日本代表松永成立平井直人の前になかなか出場機会に恵まれず、2004年林卓人の怪我でGKの選手層の薄くなったサンフレッチェ広島へレンタル移籍し、翌2005年まで在籍。しかしここでも下田崇の前に出場機会はなく2006年に京都へ復帰。復帰後も2007年に16試合に出場した以外は出場機会が無く2008年には柏レイソルから水谷雄一が加入したためベンチからも追いやられ、2009年徳島ヴォルティスへ完全移籍した。

徳島では同じく新加入の高桑大二朗日野優とポジションを争い、レギュラーを勝ち取って全51試合に出場した。しかし、高桑が引退した2010年は逆に日野にポジションを譲る機会が増加。日野が退団した2011年榎本達也の加入とオ・スンフンの台頭もあって出場機会が無かった。

2011年限りで現役を引退し、徳島ヴォルティスのアカデミーコーチに就任した[1]

所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 京都 28 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2001 21 J2 0 0 0 0 4 0 4 0
2002 J1 4 0 0 0 0 0 4 0
2003 2 0 0 0 0 0 2 0
2004 18 J2 0 0 - - 0 0
広島 33 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2005 21 0 0 0 0 0 0 0 0
2006 京都 25 0 0 0 0 0 0 0 0
2007 33 J2 16 0 - 1 0 17 0
2008 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2009 徳島 21 J2 51 0 - 0 0 51 0
2010 1 14 0 - 1 0 15 0
2011 0 0 - 0 0 0 0
通算 日本 J1 6 0 0 0 0 0 6 0
日本 J2 81 0 0 0 6 0 87 0
総通算 87 0 0 0 6 0 93 0
  • 強化指定選手としての公式戦出場はなし

代表歴

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  • 2002年 U-21日本代表
  • 2003年 U-22日本代表

指導歴

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  • 2012年 - 2016年 徳島ヴォルティス
    • 2012年 - 2013年 アカデミースクールコーチ
    • 2014年 アカデミーGKコーチ
    • 2015年 - 2016年 アカデミーユースGKコーチ
  • 2017年 - セレッソ大阪
    • 2017年 - 2020年 アカデミーGKコーチ[2]
    • 2021年 - アカデミーGKコーチリーダー

脚注

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  1. ^ 2006年までは「京都パープルサンガ」

出典

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  1. ^ 上野 秀章 選手 アカデミーコーチ就任のお知らせ
  2. ^ 上野 秀章 | HIDEAKI UENO”. セレッソ大阪スポーツクラブ. 2018年10月28日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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