下野の女夫マツ
下野の女夫マツ(しもののめおとマツ)は、岐阜県中津川市下野[注釈 1]に生育していたアカマツの巨木である[1][2][3]。ほとんど同じ大きさのアカマツ2株が下部で互いに接着し、さらに地上部では一方の木から分岐した枝が他方の木に癒着して「連理」状態になったものであった[1][2][4]。この木は1931年(昭和6年)に国の天然記念物に指定されたが、後に枯死して1988年(昭和63年)6月29日付で天然記念物指定を解除されている[注釈 2][1][2][5][6]。
由来
[編集]この木は、中津川市下野にある山林の西側斜面(海抜約440メートル)に生育していた[1][2][7]。根元の西側は低くなっていて、ほとんど同じ大きさのアカマツ2株が幹の下部で互いに接着して伸びていた[1][2][4]。
『天然記念物事典』108頁(1981年第5刷)によれば、地上部約8.86メートルの高さにおいて、南側の木から発した横枝が北側の木に癒着して、小さな橋をかけたような連理状態を示していた[1]。同事典は「その連理の部分を遠望すればH字状に見える」と記述していて、当時の計測値は接着した根元の幹囲が約3.80メートル、両株が分岐する地点の幹囲が約3.05メートル、南側の木の分岐部幹囲約2.05メートル、北側の木の分岐部幹囲が約1.7メートルであった[1]。
評論家で巨木に関する著書の多い牧野和春は、1986年(昭和61年)の『巨樹の民俗学』で下野の女夫マツを取り上げ「『陰陽和合』を直感させる樹木」と表現している[4]。牧野はこの木に「夫婦和合」の象徴を読み取り「生産、豊穣、不老長寿の木であると縁起を求めることになるのである」と記述した[4]。牧野は前掲書で、下野の女夫マツの他に同じく連理状態のマツとして知られる「高津連理のマツ」(島根県益田市)などを「相生い」の事例として取り上げている[4]。
この木は「自然生のマツにおける横枝接着の著しい例で、学術上有益なもの」として、1931年(昭和6年)7月31日に国の天然記念物に指定された[1][2][3][4]。しかし、1981年(昭和56年)頃から片方の株が衰弱し始めたために、保護対策を講じていた[2]。後に枯死して、1988年(昭和63年)6月29日に天然記念物指定解除となった[注釈 2][5][6]。
交通アクセス
[編集]- 所在地
- 岐阜県中津川市下野
- 交通
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ かつては岐阜県恵那郡福岡町に属していた。2005年(平成17年)2月13日に、同じく恵那郡の坂下町、付知町、加子母村、川上村、蛭川村、および長野県木曽郡山口村とともに中津川市に編入された。
- ^ a b 国の天然記念物に指定されていた他のマツで連理状態を示していたものとしては、「佐賀の夫婦マツ」(山口県熊毛郡平生町)、「高津連理のマツ」(島根県益田市)、「宇谷の連理根上りマツ」(鳥取県東伯郡湯梨浜町)などが知られていた。しかし、いずれも枯死して天然記念物の指定を解除されている(佐賀の夫婦マツは、残った株が平生町の有形民俗文化財に指定)。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h 『天然記念物事典』、100-101頁。
- ^ a b c d e f g 『日本の天然記念物5 植物III』、123頁。
- ^ a b 『史跡 名勝 天然記念物指定目録』、98頁。
- ^ a b c d e f 牧野、156-157頁。
- ^ a b “特別天然記念物・天然記念物を指定する件”. 法庫. 2014年11月3日閲覧。
- ^ a b 昭和63年6月29日文部省告示第85号
- ^ a b “下野の女夫マツの地図”. Mapion. 2014年11月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 沼田眞編集 『日本の天然記念物5 植物III』 講談社、1984年。ISBN 4-06-180585-1
- 文化庁文化財保護部監修 『天然記念物事典』 第一法規出版、1981年。
- 文化庁編集 『史跡 名勝 天然記念物指定目録』 第一法規出版、1984年。
- 牧野和春 『巨樹の民俗学』 恒文社、1986年。ISBN 4-7704-0639-8
関連項目
[編集]座標: 北緯35度35分7.94秒 東経137度28分29.15秒 / 北緯35.5855389度 東経137.4747639度