下関丸 (2代)
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下関丸(しものせきまる)は、鉄道省→日本国有鉄道関門航路に在籍した鉄道連絡船。
関門航路の下関丸の名の船舶は2隻ある。ここでは下関丸(2代目)について記述する。
概要
[編集]関門航路の旅客輸送は、門司丸・長水丸・豊山丸の3隻の客船で運航されていた。旅客の増加により、輸送力の増加のために大型の新造船が建造された。これが下関丸である。
下関丸は1925年(大正14年)7月17日に藤永田造船所で竣工し、同年8月1日より関門航路に就航する。長水丸・豊山丸より大型化され、乗客定員は約1,000名である。これ以降、関門航路には新造船は導入されておらず、関門航路の最後の新造船となった。
長水丸・豊山丸からの改良点として、遊歩甲板と上部の端艇甲板を結ぶ階段を設置した。端艇甲板には救命いかだを置き、非常の際における脱出を容易化し、安全性を高めた。
太平洋戦争中、米軍の機雷投下により危険となった関釜連絡船に代わって博多 - 釜山間に博釜航路が開設された際、博多港に転籍し、陸上と連絡船の間の旅客送迎用に使用された。しかし、1945年(昭和20年)6月12日に触雷し沈没した。
戦後、1948年(昭和23年)3月に引き揚げられて復旧し、関門航路に戻っている。
1958年(昭和33年)に関門トンネルが開通し、ここを通るバスへの旅客移行が進んだこともあり、関門連絡船の利用者は減少した。1961年(昭和36年)6月15日のダイヤ改正による減便で余剰となり運航終了し、翌1962年(昭和37年)3月31日付けで豊山丸とともに売却された。関門航路の廃止は1964年(昭和39年)11月1日のことである。
要目(新造時)
[編集]- 総トン数:527.8t
- 全長:132.0 ft (38.1m)
- 全幅:30.0 ft
- 航海速力:10.1kt
- 乗客:996名
※1 ft=0.3048m