世界キックボクシング協会 (WKA)
WKAの使用するロゴの1つ | |
略称 | WKA |
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設立 | 1976年10月 |
本部 |
ドイツ(本部) イングランド(事務所) |
所在地 |
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貢献地域 | 全世界 |
公用語 |
英語 ドイツ語 |
会長 | Klaus Nonnemacher |
ウェブサイト | http://www.wkaworld.com/ |
特記事項 | WKAはプロ空手協会(PKA)から分裂する形で設立された |
世界キックボクシング協会(The World Kickboxing and Karate Association[1] / WKA)は、キックボクシングの世界王座認定団体の一つ。1976年にアメリカのプロ空手協会から分離独立した。かつての団体名は「世界空手協会」("World Karate Association / WKA")。全米プロ空手を主に管轄していた。本部はドイツのカールスルーエ(Nördliche-Uferstr. 4-6 76189 Karlsruhe Germany)に、事務所はイングランドのバーミンガム(James Court 63 Gravelly Lane B23 6LX Birmingham England)にある。現会長はドイツ人のKlaus Nonnemacher。
なお野口修が創設した世界キックボクシング協会 (WKBA)、フルコンタクト空手士道館ルール統括競技団体の世界空手道連盟 (WKA)とは別の団体である。
プロ、アマそして男女両方のランキングを作成している。男子18階級、女子5階級。ただし、vacant(空位)の欄が目立ち、ランキングの更新も非常に遅い。世界王座はキックボクシング(Kick Boxing)、フルコンタクト(Full Contact)、ムエタイ(Thai Boxing)の3種類がある。また世界王座の他にインターコンチネンタル王座や地域王座の認定もおこなっている。
プロ以外にもアマチュア競技の大会の開催や普及にも積極的に力を注いでおり、アマチュアの世界選手権も開催している。
歴史
[編集]設立
[編集]世界キックボクシング協会は、1976年10月に世界空手協会としてハワード・ハンソンとアーノルド・ユキーデ(ベニー・ユキーデの兄)によって創設された。ハンソンは小林流空手の有段者で、マイク・ストーンの弟子だった。
1983年9月23日、ロブ・カーマンがジョン・モンカイヨの持つWKA世界王座に挑戦。ローキックで3RKO勝ちし初のヨーロッパ系キックボクサーのWKA世界王者が誕生した。
ハンソンが1991年にWKAをカナダのデール・フロイドに売却したのを機に、北米におけるWKAの活動は衰退していくことになった。1994年にポール・イングラムがWKAを掌握しイギリスに本部を設置したことで、同年1月にオランダのフレッド・ロイヤースやフランスのジャン=ポール・ミレーといったヨーロッパ系の重役が辞任した。
1970年代は全日本キックボクシング協会、1980年代は全日本マーシャルアーツ連盟、1990年代と2000年代は前出の両団体の流れを汲む全日本キックボクシング連盟と業務提携した。1987年夏の全日本キックボクシング連盟設立後に、同団体の実質的な権限を握ったのは金田敏男だった。金田は他の興行会社での勤務歴が長く、興行に関しては経験が深かった。加えて、自身が専務を務めていた日照という会社(キックボクシングのジムも経営していた)に「日照エンタープライズ」という会社を作らせて、自らが社長に就任した。この会社は強力な興行会社(プロモーター)であったため、全日本キックボクシング連盟の実体と目された。その後、金田は全日本キックボクシング連盟の「代表」という役職を名乗るようになっていく。また、金田がかつて勤めていた会社の一つに「オールジャパンプロモーション」(かつて存在した全日本マーシャルアーツ連盟・AKIジム・正心館の実体)という興行会社があり、WKAと提携していた。このコネは全日本キックボクシング連盟に引き継がれ、当時全日本キックキックボクシング連盟の理事長だった(後に金田と確執で集団離脱しNJKF旗揚げ)藤田眞は、WKAの副会長も兼任した。全日本キックキックボクシング連盟は、日照エンタープライズの潤沢な資金と、WKAとの全面提携を生かして、これまで呼べなかった世界(オランダ、米国)のトップ級の選手を次々と日本に招聘し、それを売り物にした。この時招聘された選手にはモーリス・スミス、ロブ・カーマン、ピーター・スミット、アンドレ・マナートなどの選手がいた。スミスに関しては過去に全日本マーシャルアーツ連盟が招聘したことがあったが、スミットについてはキックボクシングの試合のために招聘したのは全日本キックキックボクシング連盟が初めてだった。
2015年4月、谷山ジムの会長でビッグバン代表谷山歳於がWKA日本代表就任。
GAISF加入問題
[編集]2007年11月24日に、WKA会長のポール・イングラムが、WAKOがGAISF公認のキックボクシング団体に選ばれたことについて問題があったとWKAのウェブサイト上で主張した。競技としてのキックボクシングは2006年4月7日に韓国ソウルでGAISFに承認され、その競技管轄団体にはWKA、WAKO、IAKSAの3団体が申請し、最終的にWAKOが承認された。しかし、イングラムによれば、選考日前日にWKAに知らせずIAKSAがWAKOに加わったことは公正を欠き、民主的でないという。IAKSAはWAKOから派生した団体だったことと、IASKAがGAISF加入の申請書も申請料3000スイスフランも用意していなかったことから、WAKOとIAKSAがWKAを出し抜いたと主張している[2]。
ルール
[編集]WKAはキックボクシングと空手のみならず、様々なスタイルの格闘技の競技を行っているため、競技が細分化されている。ここでは各競技の簡単な概要を記述し、詳細はWKA公式ルールブックを参照することをお勧めする。
キッズやジュニア部門に当てはまる年少の競技者でも行える競技も行われている。
ポイント制競技
[編集]空手組手競技
[編集]セミコンタクト(Semi Contact)
[編集]ライトコンタクト(Light Contact)
[編集]WKAは空手の団体でもある為、空手の競技の一つである形競技から発展した演舞競技がある。様々なスタイルに細分化されている。
演舞競技
[編集]ハードスタイル
[編集]韓国スタイル
[編集]空手形
[編集]スタイル・ソフトフォーム
[編集]フリースタイル
[編集]ミュージカル・ウェポンズ
[編集]ウェポン・ノーミュージック
[編集]ベテラン伝統派
[編集]エクストリーム・フォームス
[編集]伝統派団体形
[編集]フリースタイル自由形
[編集]日本ではWKAは基本的にキックボクシングの団体として知られているため、日本人にとってもなじみのある競技である。
リング競技
[編集]フルコンタクト(Full Contact)
[編集]キックボクシング(Kick Boxing)
[編集]ムエタイ(Thai boxing)
[編集]オリジナルWKAキックボクシング(Original WKA Kickboxing)
[編集]階級
[編集]アマチュア
[編集]アマチュアでは、「フルコンタクト」・「キックボクシング」・「ムエタイ」・「K-1」といった、直接打撃制の競技に関しては下記の体重別階級制度がとられている。なお、下記の階級表は「アダルト」部門(18歳以上35歳未満)のものである。他に「キッズ」・「ジュニア」・「ベテラン」と3つの年齢で区別された部門がある。そして、それぞれの部門によって階級制が異なる。
男子アダルト | 女子アダルト | ||||||||||||||||||||||||||||||||
全8階級。
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全5階級
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プロ
[編集]男子 | 女子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
全18階級。
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全5階級
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関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ WKA公式ルールブック2010年度(アマチュア)の第1章において「WKA stands for the World Kickboxing and Karate Association with its seat in Germany.」と書かれているため。
- ^ GAISF Recognition