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丙午

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

干支
1
甲子
2
乙丑
3
丙寅
4
丁卯
5
戊辰
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己巳
7
庚午
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辛未
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壬申
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癸酉
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甲戌
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乙亥
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丙子
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丁丑
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戊寅
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己卯
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庚辰
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己未
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庚申
58
辛酉
59
壬戌
60
癸亥
十干十二支

丙午(ひのえうま、へいご)は、干支の1つ。

干支の組み合わせの43番目で、前は乙巳、次は丁未である。陰陽五行では、十干は陽の十二支は陽ので、比和である。

丙午の年

丙午は干・支ともに火性である。

西暦年を60で割って46が余る年が丙午のとなる。

丙午の年
1千年紀 2千年紀 3千年紀

丙午生まれの迷信

由来

「丙午(ひのえうま)年の生まれの女性は気性が激しく、夫の命を縮める」という迷信がある。これは、江戸時代の初期の「丙午の年には火災が多い」という迷信が、八百屋お七が丙午の生まれだとされたことから、女性の結婚に関する迷信に変化して広まって行ったとされる[1][2]

江戸時代には人の年齢はすべて数え年であり[3]、もしも八百屋お七が寛文6年(1666年)の丙午生まれならば、放火し火あぶりにされた天和3年(1683年)には18歳になる計算となるが、井原西鶴などの各種の伝記では16歳となっている[4][5]。しかし、浄瑠璃作家紀海音が浄瑠璃「八百やお七」でお七を丙午生まれとし、それに影響された為長太郎兵衛らの『潤色江戸紫』がそれを引き継ぎ、また馬場文耕はその著作『近世江都著聞集』で谷中感応寺にお七が延宝4年(1676年)に掛けた額が11歳としたことが、生年を寛文6年(1666年)とする根拠となった。

紀海音は演劇界に強い影響力を持ち、文耕の近世江都著聞集も現代では否定されているものの長く実説(実話)とされてきた物語で有り、お七の丙午説はこのあたりから生じていると考えられている[6]

1906年

明治時代以降もこの迷信は続き、1906年(明治39年)の丙午では、前年より出生数が約4%減少した。当時の新聞には元日に産まれた女児の将来を案じる記事がある[7]ほか、生まれた男児の出生届を前後の年にずらして届け出ることもあったという[8]

この1906年生まれの女性が結婚適齢期となる1920年代前半、特に1924年(大正13年)から1926年(大正15年/昭和元年)には、縁談の破談や婚期が遅れる悲観、家族の心無い言葉などが理由である女性の自殺の報道などが相次ぎ[7]、迷信を否定する談話や映画『丙午の女』(石巻良夫:監督、サクラプロダクション)[7]が製作されるなど、丙午生まれの迷信が女性の結婚に影響したことが窺われる[9]夏目漱石1907年に発表した小説『虞美人草』において、主人公の男を惑わす悪女、藤尾を「藤尾は丙午である」[10]と表現している。

この年に生まれた小説家坂口安吾は、本名は丙午を意味する炳五という名を付けられ、親類から「男に生まれて良かった」と言われたという話を文章に残している。坂口は、1954年随筆でこの迷信はなかなか無くならないだろうと予言し[11]、実際1966年もその通りになった。

1966年

1950年から2008年までの日本の出生率(赤)。丙午の年に当たる1966年の出生率が極端に低くなっている。

この迷信は昭和になっても依然根強く、1965年(昭和40年)の証券恐慌(昭和40年不況)の影響もあり、1966年(昭和41年)の出生率は前年に比べて25%下がった[12]。子供をもうけるのを避けたり妊娠中絶を行ったりした夫婦が地方や農村部を中心に多く[注 1]、出生数は136万974人[14]と他の年に比べて極端に少なくなった。一方で前年(182万人)および翌年(194万人)の出生数は増加している[7]

1966年に生まれた子供は少なかったことから、この学年度(翌1967年の早生まれを含む人口は約160万人[15])の高校受験大学受験が他の年より容易だったのかについては当時からしばしば論じられた話題であったが、大学一般の入学率については有意な差がみられないものの、国公立大学への進学率は1985年に上昇した[16]。またこの年の子供は第一子(初めての子供)率が50.9%で統計史上過去最多であった。

一方で、日本の地方自治体の中には丙午の迷信に対する取り組みを行う自治体があった。1965年11月には山形市で、法務省山形地方法務局が主催となった「ひのえうま追放運動」が展開され、同月21日には市内パレードで啓発を呼びかけた。同法務局によると、子どもを産む産まないで、離婚調停に至ったり、近所から嫌がらせを受けたなどの相談が多発したためである[17]。また、群馬県粕川村(現・前橋市粕川町)でも、村長主導で「迷信追放の村」を宣言して、同様の運動が行われた。村役場が1906年とその前後の年に誕生した女性1400人を調査して、丙午には根拠がないことを広報するなど取り組んだ[1]福岡県久留米市は、1966年最初の広報紙で丙午を「むかしむかしのおとぎ話」「昨年は二人目のノーベル賞受賞者を出した科学日本に、もっともふさわしくない、まことに奇妙な風習」「童話の世界」と強い語気で否定した[18]

2023年(令和5年)に大阪教育大学を卒業した学生が、卒業論文の一環で1966年生まれの女性に行ったアンケートでは、回答した142人の半数弱に気性が荒いと決めつけられた経験があり、言動の大半が母や祖母などの女性からのものだった。また、出生数の少なさや結婚できないという偏見から、嫌味を言われたり、厳しくしつけられたと述べた人もいた。しかし、丙午なら結婚や出産を避けるべきかという質問に賛成したのは1%にすぎず、丙午に否定的な印象を持つ人は殆んどいなかった[19][注 2]

2026年

次回の丙午は2026年であるが、世界銀行はこのトレンドは継続しないと予測している[20]

丙午の月

西暦年の下1桁が2・7(十干が)の年の5月が丙午のとなる。ただしここでいう月は、旧暦の月や節月芒種から小暑の前日まで)を適用する場合もある。

丙午の日

選日

丙午の日は天一天上の14日目である。また、土以外の比和では唯一八専に含まれない。

脚注

  1. ^ 統計上も人工中絶が多いことが報じられた[13]
  2. ^ 丙午出身である酒井順子は、丙午生まれであることで嫌な思いをしたことがないとした上で、「私たちは「丙午に生まれても心配なく生きていける」という“壮大な実証実験”をしたようなもの」と述べている[19]

出典

  1. ^ a b 「〈昭和史探訪〉Vol.78 ひのえうま 迷信追放に挑んだ村」 2010年12月18日付『朝日新聞』 夕刊(web版:昭和史再訪セレクション Vol.78 ひのえうま 迷信追放に挑んだ村”. 朝日新聞. 2012年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月13日閲覧。
  2. ^ 東京消防庁・消防雑学2012.9.20閲覧
  3. ^ 江戸東京たてもの園・2007年初春の雅2012.9.20閲覧
  4. ^ 井原西鶴 原著、吉行淳之介 現代語訳『好色五人女』河出書房新社、1979年、pp.66-86
  5. ^ サライ責任編集『十代目桂文治』昭和の名人完結編、小学館、2011年、pp.11-12および付属CD「八百屋お七」
  6. ^ 竹野 静男「西鶴-海音の遺産 八百屋お七物の展開」『日本文学』vol.32、日本文学協会編集刊行、1983年、p.11
  7. ^ a b c d 松浦國弘「「丙午生まれ」の悲劇 迷信で命を絶った女性たち」溝口常俊・編『愛知の大正・戦前昭和を歩く』風媒社 2023年 ISBN 978-4-8331-4308-0 P.150-153
  8. ^ 高橋眞一「明治大正期における地域人口の自然増加と移動の関連性」『國民經濟雜誌』187巻4号、神戸大学、2003年。
  9. ^ 報道の一例 「ことし十九歳の迷信に悩む娘たち 縁が遠いと「丙午」をかつぐ」 1924年2月10日付『朝日新聞』朝刊
  10. ^ 青空文庫 夏目漱石 『虞美人草』
  11. ^ 坂口安吾 「ヒノエウマの話青空文庫
  12. ^ 慶應大学教授赤林英夫「丙午世代のその後-統計から分かること」2012.9.20閲覧
  13. ^ 「異常に多い人工中絶 厚生省・一~三月の調査」 1966年8月22日付『朝日新聞』夕刊
  14. ^ 内閣府『青少年白書』平成18年版
  15. ^ 1966年度生まれの18歳人口は約160万人[https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/kihon5/1kai/siryo6-2-7.pdf
  16. ^ 「丙午世代のその後-統計から分かること」赤林英夫(日本労働研究雑誌)[1]PDF-P.5
  17. ^ 河北新報』1965年11月。
  18. ^ 「暮らしのしおり」 久留米市役所『市政くるめ』第188号 1966年1月5日
  19. ^ a b 島香奈恵 (2023年4月6日). “「丙午」の迷信、若者は気にする? …迫る3年後、「女性の気性激しい」前回は出生数激減”. 読売新聞社. https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20230405-OYO1T50028/ 2023年5月1日閲覧。 
  20. ^ The curse of the Fire-Horse: How superstition impacted fertility rates in Japan” (英語). blogs.worldbank.org (2019年1月22日). 2023年12月14日閲覧。

関連項目

参考文献

  • 新津隆夫藤原理加『1966年生まれ 丙午女(ヒノエウマ・ウーマン)…60年に一度の元気者』小学館(原著1996年12月)。ISBN 9784093872089