中原師任
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中原 師任(なかはら の もろとう、永観元年(983年) - 康平5年1月6日(1062年2月17日))は、平安時代中期の貴族。伊勢守・中原致時の子。官位は従四位下・主計頭。
経歴
[編集]長保3年(1001年)寮試に及第すると、擬文章生・文章生を経て、三条朝末の長和4年(1015年)式部録に任官。
後一条朝に入り、寛仁5年(1021年)権少外記に補せられると、治安2年(1022年)少外記、万寿元年(1024年)正月に大外記と外記局で昇任していくが、同年従五位下に叙爵して外記の職を去った。
長元3年(1030年)天文密奏宣旨を受け、天文密奏の労により長元5年(1032年)主税権介、長暦4年(1040年)従五位上に叙任される。長久2年(1041年)正五位下・大外記に叙任されて、父・致時に続いて大夫外記となると、備後権介・伊予介の兼国に与ったほか、関白・藤原頼通家の政所別当も務めた。
後冷泉朝の永承3年(1048年)従四位下・安芸守に叙任されて、大夫外記を去る。安芸守の任期終了後の天喜元年(1053年)主計頭として京官に復した。
官歴
[編集]『地下家伝』による。
- 長保3年(1001年) 寮試及第
- 時期不詳:補文人。擬文章生
- 長保6年(1004年) 12月3日:天文習学宣旨
- 長和3年(1014年) ○月23日:文章生。日付不詳:内御書所衆
- 長和4年(1015年) 日付不詳:式部録
- 長和5年(1016年) 9月15日:大嘗会御禊御前次第司主典
- 寛仁5年(1021年) 正月20日:権少外記
- 治安2年(1022年) 正月30日:少外記
- 万寿元年(1024年) 正月27日:大外記。日付不詳:従五位下(松尾北野行幸行事賞)
- 長元3年(1030年) 日付不詳:天文密奏宣旨
- 長元5年(1032年) 10月27日:主税権介(天文功)
- 時期不詳:覆勘卿宣
- 長元9年(1036年) 日付不詳:大嘗会悠紀所小忌所行事
- 長暦4年(1040年) 正月5日:従五位上(天文密奏労)
- 長久2年(1041年) 正月23日:兼大外記。8月27日:正五位下(松尾春日行幸行事賞)
- 長久3年(1042年) 正月29日:兼備後権介(大外記労)
- 寛徳3年(1046年) 2月:兼伊予介
- 永承2年(1047年) 12月9日:関白左大臣政所別当
- 永承3年(1048年) 正月28日:安芸守、去大外記。2月7日:従四位下
- 永承7年(1052年) 正月:得替解任
- 天喜元年(1053年) 11月28日:主計頭。日付不詳:宣旨正蔵卒分所寄人
- 天喜4年(1056年) 正月:兼備中介(主計頭労)
- 康平5年(1062年) 正月1日:次侍従。正月6日:卒去
系譜
[編集]『古代氏族系譜集成』による[1]。