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中山城 (日向国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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中山城
宮崎県
別名 仲山城、三田井氏宅跡
城郭構造 丘城
天守構造 なし
築城主 三田井氏
主な改修者 三田井親武
主な城主 三田井氏
遺構 曲輪
指定文化財 史跡等未指定[1]
位置 北緯32度41分45.4秒 東経131度17分58.0秒 / 北緯32.695944度 東経131.299444度 / 32.695944; 131.299444座標: 北緯32度41分45.4秒 東経131度17分58.0秒 / 北緯32.695944度 東経131.299444度 / 32.695944; 131.299444
地図
中山城 (仲山城)の位置(宮崎県内)
中山城 (仲山城)
中山城
(仲山城)
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中山城(なかやまじょう)、または仲山城は、宮崎県西臼杵郡高千穂町日向国臼杵郡中山)にあった日本の城三田井氏宅跡(みたいしたくあと)とも呼ばれる[2][3]。築城年は不明だが、高千穂氏の末裔、大神姓三田井氏の居城で、文禄3年(1594年)に高橋元種によって攻め落とされた。

概要

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三田井親武の居城。三田井親武は、天慶年間(938年-947年)に血筋の途絶えた三田井氏の養子となった大神惟基の長子・大神政次を祖とする大神姓の三田井氏。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉による九州征伐で高千穂郷は縣城主(延岡城主)となった高橋元種の所領となったが、三田井氏はこれに従わなかった。

文禄3年(1594年)、元種は三田井氏の家老・甲斐宗摂をそそのかし三田井氏を討たせた。

脚注

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  1. ^ 「高千穂町文化財指定」高千穂町公式HP
  2. ^ 宮崎県教育委員会 1998 p.8
  3. ^ 宮崎県教育委員会 1998 pp.12-13

参考文献

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関連項目

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