中山城 (日向国)
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中山城 (宮崎県) | |
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別名 | 仲山城、三田井氏宅跡 |
城郭構造 | 丘城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 三田井氏 |
主な改修者 | 三田井親武 |
主な城主 | 三田井氏 |
遺構 | 曲輪 |
指定文化財 | 史跡等未指定[1] |
位置 | 北緯32度41分45.4秒 東経131度17分58.0秒 / 北緯32.695944度 東経131.299444度座標: 北緯32度41分45.4秒 東経131度17分58.0秒 / 北緯32.695944度 東経131.299444度 |
地図 |
中山城(なかやまじょう)、または仲山城は、宮崎県西臼杵郡高千穂町(日向国臼杵郡中山)にあった日本の城。三田井氏宅跡(みたいしたくあと)とも呼ばれる[2][3]。築城年は不明だが、高千穂氏の末裔、大神姓三田井氏の居城で、文禄3年(1594年)に高橋元種によって攻め落とされた。
概要
[編集]三田井親武の居城。三田井親武は、天慶年間(938年-947年)に血筋の途絶えた三田井氏の養子となった大神惟基の長子・大神政次を祖とする大神姓の三田井氏。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉による九州征伐で高千穂郷は縣城主(延岡城主)となった高橋元種の所領となったが、三田井氏はこれに従わなかった。
文禄3年(1594年)、元種は三田井氏の家老・甲斐宗摂をそそのかし三田井氏を討たせた。
脚注
[編集]- ^ 「高千穂町文化財指定」高千穂町公式HP
- ^ 宮崎県教育委員会 1998 p.8
- ^ 宮崎県教育委員会 1998 pp.12-13
参考文献
[編集]- 宮崎県教育委員会 1998『宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書Ⅰ』p.8
- 宮崎県教育委員会 1999『宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書Ⅱ』pp.12-13
- 高千穂町教育委員会 2002『高千穂町遺跡詳細分布調査報告書』