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中島保彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中島 保彦(なかじま やすひこ、1921年11月17日 - 1984年2月9日)は、日本の画家

自由美術協会会員から主体美術協会会員。日本美術会会員。1957年2月から翌年まで日本美術会の事務局長を務める。

いわき市立美術館に、「炭鉱地帯」(1960年)など、板橋区立美術館に、「溶鉱鑪」(1962年)などが収蔵されている。挿画、表紙画を描いた児童文学作品が多数ある。

経歴

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挿絵を描いた作品

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  • 『さよならを言わないで』(杉みき子、大日本図書、1971年)
  • 『のうさぎとかあさん』(大野哲郎、ポプラ社、1974年)
  • 『雪いろのペガサス』(儀府成一、理論社、1974年)
  • 『三少年汽車にのる』(塚原健二郎、新日本出版社、1974年)
  • 『信彦と新しい仲間たち』(上坂高生、童心社、1975年)
  • 『お菓子の話』(儀府成一、理論社、1975年)
  • 『終着駅の小鳥たち』(儀府成一、理論社、1976年)
  • 『野うさぎ村の戦争』(植松要作、新日本出版社、1977年)
  • 『みやざわけんじ物語』(さくらいのぶお、あすなろ書房、1979年)
  • 『阿母やあい』(北畠八穂、偕成社、1979年)
  • 『いのち生まれるとき』(早船ちよ、理論社、1982年)

出典

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  1. ^ a b c d e f g 中島 保彦常磐炭田ネットワーク
  2. ^ 日本美術会と日本アンデパンダン展の略歴日本美術会サイト内
  3. ^ a b 沿革主体美術協会サイト
  4. ^ 「民美」について