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中川秀休

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中川 秀休(なかがわ ひでやす、? - 寛永4年7月22日1627年9月1日))は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。父は佐治信方、母は織田信長の妹お犬の方。通称は久右衛門。兄に佐治一成、異父弟に細川元勝がいる。

初め織田熊之丞と名乗り、天正11年(1583年)8月17日、羽柴秀吉から山城木津において500石を扶助されている(『古典籍展観大入札会目録』1092号、2005年)[1]。後に豊臣秀次に仕えた。天正14年(1586年)、従兄弟である織田信秀と共に大坂で洗礼を受け、キリスト教に入信。文禄4年(1596年)に秀次が切腹すると、豊臣秀保前田利家に仕えた。

寛永4年(1627年)7月22日、京都で死去。墓所は龍安寺霊光院。戒名は功岩全忠禅門。

脚注

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  1. ^ 永田恭教「江と信長-知られざる前半生-」『歴史読本』56巻7号、2011年。