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中野停留場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中野停留場
なかの
NAKANO
駒川町 (0.5 km)
(1.1 km) 西平野
地図西は駒川中野駅
所在地 大阪市東住吉区中野通
北緯34度37分16.50秒 東経135度32分1.55秒 / 北緯34.6212500度 東経135.5337639度 / 34.6212500; 135.5337639座標: 北緯34度37分16.50秒 東経135度32分1.55秒 / 北緯34.6212500度 東経135.5337639度 / 34.6212500; 135.5337639
所属事業者 南海電気鉄道
所属路線 平野線
キロ程 4.3 km(今池起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1914年大正3年)4月26日
廃止年月日 1980年昭和55年)11月28日
備考 所在地は、1980年の新住居表示以前の地名
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中野停留場(なかのていりゅうじょう)は、かつて大阪府大阪市東住吉区にあった南海電気鉄道平野線電停)である。

概要

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現在の阪神高速14号松原線沿いの、大阪シティバス「針中野1丁目」バス停(平野線運行当時は「中野駅前」バス停)脇の高架下の公園が、当駅の上りホーム(今池方面行)の跡地である。公園の西端の交差点を挟んで、北側に下り(平野行)ホームが千鳥配置された。上りホームは阪神高速道路の建設に伴い若干移設されたが、下りホームは開業当時のホームが、ほぼそのままの趣きで営業廃止まで使用された。

阪神高速道路の工事に伴う線路の移設までは、平野側に渡り線が存在した。また、その頃までは上り線ホームに売店があり、乗車券も販売されていたが、その後なくなっている。

隣の駒川町停留場から当駅の区間にかけて、阪神高速道路の高架脚が、2本で跨ぐタイプから1本脚になる部分がある。よく見ると、その1本脚は中心が少しずれており、長めに腕が出ている方が、平野線軌道上だった名残である。これは、阿倍野方面からここまで、阪神高速道路の高架に寄り添ってきた平野線の軌道が、高架の下に潜った部分を示す。阪神高速工事中・工事完了後の当駅 - 西平野間は、高架道路の真下を電車が走った[注釈 1]。鉄道高架ではないとはいえ、営業中の鉄道路線で直上高架工事が施工された例である。また、阪神高速14号松原線の地下には、平野線の代替となる大阪市営地下鉄谷町線(現・Osaka Metro谷町線)が走ることとなった。南海平野線の運行最終日と、谷町線の代替区間の営業開始は同じ日だったので、1980年(昭和55年)11月27日の1日に限り、地下鉄・(地上の)平野線・そして高架に高速道路が同時に存在・営業したことになる。

歴史

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年表

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駅名の由来

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  • 旧「中野村」域に所在したため(明治期の合併により開業時は「南百済村」に所在)。中野の地名は、平安時代から今も続く「中野小児鍼」で古くから知られており、その後開通した近鉄南大阪線針中野駅」の駅名の由来ともなった。現在も針中野3丁目に、鍼への道と当駅への分岐を示す道標が残る。石の道標には、平野線開業の4月に、当時の院長が建立したと思われる文字が刻まれている。

停留場構造

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千鳥式ホーム2面2線を有する地上駅であった。

のりば

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のりば 路線 方向 方面 行先
  平野線 上り 阪堺線直通:田辺阿倍野今池方面 恵美須町
上町線直通:田辺・阿倍野・天王寺駅前方面 天王寺駅前
  下り 平野方面 平野

停留場周辺

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隣の停留場

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南海電気鉄道
平野線
駒川町停留場 - 中野停留場 - 西平野停留場

脚注

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注釈

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  1. ^ 高架の橋脚は2本で軌道を跨ぐ形になる。

出典

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関連項目

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