丸屋清次郎
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丸屋 清次郎(まるや せいじろう、生没年不詳)は江戸時代の江戸の地本問屋、団扇問屋。
来歴
[編集]寿鶴堂、丸清と号す。または丸屋清治郎とも。享和から安政期に芝神明前宇田川町文治郎店で営業している[1] 。地本草紙問屋元組(古組)の一軒であり、団扇問屋も兼ねていた。歌川豊国、歌川国貞、渓斎英泉、歌川広重、歌川国芳、歌川芳虎らの錦絵を出版している。安政4年(1857年)9月に廃業している。
作品
[編集]- 歌川豊国 『五世松本幸四郎の阿波の十郎兵衛』 大判 錦絵 享和2年(1802年)
- 歌川豊国 『沢村源之助の阿部の保名』 大判 錦絵 享和2年
- 歌川国貞 『古今未曽有工夫の幽霊 尾上梅幸のかさね』 大判 錦絵 文化14年(1817年)
- 渓斎英泉 『時世粧』 横大判 錦絵揃物 文政後期~天保前期
- 歌川広重 『伊勢参宮宮川渡しの図』 大判3枚続 錦絵 文政 神宮徴古館所蔵
- 歌川広重 『日本湊尽』 横大判 錦絵揃物 天保後期
- 歌川広重 『東海道五十三次之内(隷書東海道)』 横大判55枚揃 錦絵 弘化4年(1847年)‐嘉永4年(1851年)
- 歌川国芳 『浅草金龍山弁天山雪中之図』 横大判 錦絵 嘉永
- 歌川国芳 『朝比奈島巡り』 大判3枚続 錦絵
- 3代目歌川豊国 『朝顔日記 宮城阿曽次郎 秋月娘深雪』 大判3枚続 錦絵 安政2年(1855年)
- 歌川芳虎 『桜花美人の図』
脚注
[編集]- ^ 『浮世絵の基礎知識』は文化・嘉永年間とする。