丸山久雄
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丸山 久雄(まるやま ひさお、1900年(明治33年)10月12日[1] - 1985年(昭和60年)[2])は、大正後期から昭和期の教育者、政治家。長野県中野市長。
来歴
[編集]長野県下高井郡倭村(現中野市)で、教育者・丸山久保吉の長男として生まれた[2]。長野師範学校卒業後[2]、1921年(大正10年)7月、公立小学校訓導に就任[1]。1922年(大正11年)兵役につく[1]。除隊後、下高井郡高丘小学校長、平穏小学校長、中野小学校長を歴任し、長野県視学などを経て、1947年(昭和22年)下高井郡教育会長を務めた[1][2]。長野県教職員組合執行委員長を経て1955年(昭和30年)長野県教育委員会教学指導課長に就任した[1][2]。
1962年(昭和37年)8月、中野市長選挙に当選し、1970年(昭和45年)8月まで2期務めた[1][2]。在任中は新市庁舎、市民会館、中山晋平記念館の建設や、市道の舗装事業、浄水・貯水施設の整備などに尽力した[1][2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。