山田勝久 (政治家)
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山田 勝久(やまだ かつひさ、1923年〈大正12年〉11月9日[1] - 1984年〈昭和59年〉1月9日 [1])は、昭和期の政治家。長野県中野市長。
来歴
[編集]長野県下高井郡平野村(現中野市)生まれ[2]。1941年(昭和16年)3月、下高井農学校(のち長野県中野実業高等学校)卒業後、農業に従事した後、海軍水路部修技所普通科を経て、1945年(昭和20年)6月、仙台陸軍飛行学校を卒業し、終戦時には陸軍中尉[1]。
戦後は中野市農業委員会委員から1966年(昭和41年)11月に同市議会議員に選出され[1][2]、副議長を経て[2]、1977年(昭和52年)8月、中野市長選挙に当選した[1][2]。北信地域広域行政事務組合長も兼任し、在任中は工業団地や住宅団地の造成、公共下水道終末処理場の建設、商店街近代化整備事業などに尽力した[1][2]。市長に2期在任し1984年1月、在任中に死去した[1][2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
- 『長野県人物・人材情報リスト』日外アソシエーツ、2019年。