丸山芳良
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丸山 芳良(まるやま よしまさ、 1884年(明治17年)5月5日 - 1932年(昭和7年)3月23日)は、日本の歌人。
来歴
[編集]栃木県足利市通六丁目出身[1][2]。足利の小学校高等科を経て[2]、中学校時代に石川角次郎から洗礼を受け[3][4]、1902年商工中学校(現日本大学第三高等学校)卒業。同年東京高等商業学校(現一橋大学)に進学するも[5]、病気と実家の倒産のため2年で中退した[2][6]。
中退後は日清製粉横浜工場主任や[7][5]、日本統治時代の台湾の台北市の会社への勤務[2][1]、名古屋市の製陶会社・旭陶器主事なども務めた[8][3]。この間、1914年から窪田空穂に師事し、歌誌『国民文学』に参加[1]。
1920年に喘息のため足利に帰郷し、1921年に足利印刷社を設立し、同社無限責任社員となった[9]。また、短歌講座を開き、足利の文芸誌に歌を発表するなどもしていたが[2]、1932年に49歳で死去し、足利印刷社も解散した[10]。墓所は長林寺で、同寺に歌碑も建つ[2]。
歌集
[編集]- 『丹灰集 : 歌集』地上社 1932年
- 『丸山芳良歌集』地上社 1965年
脚注
[編集]- ^ a b c 「丸山 芳良」『日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」』 。コトバンクより2024年4月16日閲覧。
- ^ a b c d e f 丸山芳良(まるやまよしまさ)(1884~1932)足利市立教育研究所
- ^ a b 空穂随筆
- ^ 基督教短歌鑑賞 図書 松本宗吉 著 教文館, 昭和17
- ^ a b 昭和日本歌選 図書 松本昌夫 編著 三土社書房, 昭和3
- ^ 近代足利市史 第2巻 (通史編 近代3~現代) 図書 足利市史編さん委員会 編 足利市, 1978.1
- ^ 帝国銀行会社要録 : 附・職員録 大正3年(第3版)
- ^ 基督教短歌鑑賞 図書 松本宗吉 著 教文館, 昭和17
- ^ 官報 1921年06月25日
- ^ 官報 1932年07月01日