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日清製粉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日清製粉株式会社
Nisshin Flour Milling Inc.
本社
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
101-8441
東京都千代田区神田錦町一丁目25番地
設立 2001年平成13年)7月2日
業種 食料品
法人番号 2010001074767 ウィキデータを編集
事業内容 小麦粉、ふすま、その他の加工品および関連商材の製造・販売
代表者 山田貴夫(取締役社長)
資本金 148億7500万円
売上高 2,120億5,300万円
(2024年3月期)[1]
営業利益 140億5,100万円
(2024年3月期)[1]
経常利益 150億2,100万円
(2024年3月期)[1]
純利益 106億9,400万円
(2024年3月期)[1]
純資産 662億8,100万円
(2024年3月期)[1]
総資産 1,828億8,000万円
(2024年3月期)[1]
主要株主 (株)日清製粉グループ本社 100%(2020年31日現在)
主要子会社 日清サイロ、日清経営技術センター
関係する人物 正田貞一郎(創業者)
外部リンク https://www.nisshin-seifun.com/
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日清製粉株式会社(にっしんせいふん)は、群馬県館林市で日本初の機械製粉を行った「館林製粉株式会社」を前身とする企業である[2]日清製粉グループ本社完全子会社。 この社名は、1907年(明治40年)3月1日横浜に設立された日清製粉株式会社までさかのぼる[3][4]が、法人としては連続していない。現法人はこの社名の企業としては3代目で、2001年7月1日2代目日清製粉株式会社の持株会社化に伴い分社された事業会社のうちの1社である[2]。当社及び日清食品日清オイリオは資本関係のない別会社である[5][6]

概要

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1900年明治33年)10月に群馬県邑楽郡館林町278番地(現・館林市)に正田貞一郎達により資本金3万円で館林製粉株式会社が設立され、1901年(明治34年)5月3日に日本初の機械製粉を行ったのが始まりである[2]

1907年(明治40年)3月1日横浜市青木町3581番地に資本金100万円で設立された日清製粉株式会社(初代)は、工場建設中から日露戦争後の反動不況で将来性が楽観できないことなどもあり、三井物産の仲介を受けて館林製粉株式会社との合併協議を進め、同年10月22日に両社の合併契約を締結した[3]。 同年11月に合併して[7]資本金160万円の日清製粉株式会社(2代目)となった[8]

なお、この合併の際に、地方名の館林ではなく、日清製粉株式会社の名称とすることになったが、合併前の両社の社長が相談役に退任したこともあり、正田貞一郎が専務取締役として事実上のトップとして経営することになった[8]

1908年(明治41年)1月に東武鉄道館林駅に側線を設置した工場を開設し、代官町の工場から移転して、500万バーレルで操業を開始した[9]

日清製粉株式会社(初代)が設立当初から建設を進めていた横浜工場は、1909年(明治42年)8月14日に400万バーレルの生産能力で稼働し、当社の生産能力は900万バーレルに引き上げられた[10]

1910年(明治43年)4月に[7]宇都宮市今泉町に工場を建設中だった大日本製粉株式会社1907年(明治40年)3月13日設立)を合併し[11]、同年8月20日に宇都宮工場が稼働開始し、当社の生産能力は400万バーレル増加して1300万バーレルとなった[12]

1913年(大正2年)9月に本社の一室に製粉についての化学研究を開始し[13]、1918年(大正7年)5月に横浜工場内に化学研究所を開設[14]。 化学研究の一環でグルテン検出する方法を開発した他、原料小麦の調査も進めるなどして、品質向上を図った[14]。 そして、1919年(大正8年)には横浜工場内で食パンの量産を開始[14]。 同年12月に東京製パン株式会社を設立した[14]。 同社は翌年1920年(大正9年)4月に雑司ヶ谷の工場を稼働させ、製パン事業を本格化させた[15]

関東地方以外への進出を目指して名古屋駅の南の則武に約4,000坪の土地を買収し[16]、1913年(大正2年)10月1日に(初代)名古屋工場を稼働させた[17]。 この名古屋工場は1918年(大正7年)に第2工場を増設し[18]、1922年(大正11年)8月に新旧工場を接続する工事を行って設備を増設して生産能力を1500万バーレルまで拡大した[19]。 ところが、この名古屋工場は、名古屋駅の拡張工事に伴う用地となったため、名古屋市中川区長良町1-1に新たな用地を取得し、1936年(昭和11年)7月に(2代目)名古屋工場を稼働させた[19]

この間の1917年(大正6年)8月2日に茨城県水戸市に水戸工場を開設している[20]。 1919年(大正8年)2月8日に工場建設に向けて高崎市に工場用地を確保していた上毛製粉株式会社を合併し、同年12月12日に高崎工場として稼働させた[21]。 また、1920年(大正9年)2月1日に岡山県岡山市桑田町に岡山工場を稼動させて、中国地方四国地方へも販路を拡大した[22]

また、1924年(大正13年)12月に九州製粉株式会社讃岐製粉株式会社を合併し[7]、1925年(大正14年)に鳥栖工場と坂出工場を開設した[23]。 さらに、当時近畿地方で最大の小麦産地であった兵庫県には、1925年(大正14年)1月5日に神戸市兵庫区住吉通3-1に神戸工場を稼働させ、同年6月から昼夜連続稼働を開始した[24]

鶴見工場の第1期工事が竣工して[25]1926年(大正15年)2月24日に稼働し[26]、翌年1928年(昭和3年)に第2期工事が完成して当社の生産能力は7000万バーレルに達した[25]

本社所在地は、東京都千代田区神田錦町一丁目25番地で、日清製粉グループ本社と同じである。

沿革

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主な製品

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業務用小麦粉ふすま胚芽などの小麦連産品、ライ麦粉など[28]加工食品の原料素材を供給する企業である。日清製粉では業務用のみ取り扱っており、家庭用製品は日清製粉ウェルナから販売されている。

工場

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脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f 日清製粉株式会社 第23期決算公告
  2. ^ a b c d e 『味百年 食品産業の歩み』 日本食糧新聞社、1967年9月15日。pp372
  3. ^ a b c 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp64
  4. ^ 渋沢栄一記念財団 実業史研究情報センター / 社史プロジェクト / 社史紹介 (な行)
  5. ^ Nakazono, Sumire (2018年2月22日). “「日清」と社名に着く食品会社3社 無関係だって知ってた?”. BuzzFeed. 2023年6月9日閲覧。
  6. ^ ただし、原材料の調達や製品の顧客という形での取引関係はある。
  7. ^ a b c 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp変遷表26
  8. ^ a b c 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp65
  9. ^ 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp58-59
  10. ^ 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp68
  11. ^ 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp71
  12. ^ 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp72
  13. ^ 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp92
  14. ^ a b c d 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp93
  15. ^ 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp94
  16. ^ 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp96
  17. ^ 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp97
  18. ^ 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp98
  19. ^ a b 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp99
  20. ^ 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp102-103
  21. ^ 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp104
  22. ^ 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp106
  23. ^ 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp110
  24. ^ 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp109
  25. ^ a b 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp121
  26. ^ 『日清製粉株式会社史』 日清製粉、1955年12月25日。pp126
  27. ^ 2002年3月期有価証券報告書 (PDF) (日清製粉グループ本社)2020年11月24日閲覧。
  28. ^ 日清製粉株式会社 | 会社概要 | 日清製粉グループ

外部リンク

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