邑楽郡
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邑楽郡(おうらぐん)は、群馬県(上野国)南東部に存在する郡。平成の大合併においては、群馬県内の郡では唯一所属する全町が合併を行わなかった。古くは「おはらぎのこおり」とも読まれた。
人口100,959人、面積132.37km²、人口密度763人/km²。(2024年12月1日、推計人口)
以下の5町を含む。
概要
[編集]- いずれの町も工業が発展しており、観光産業に乏しい。
- 県内の郡で唯一、男性が女性より多い。
- 前橋市から40~60km離れているのに対し、東京都心からは約70kmで、特に館林市、明和町、板倉町は便も良いため、都心との関係が県内の他の地域と比べて密接[注 1]。市町村によっては埼玉県さいたま市のほうが前橋市よりも近い。そのため群馬県内で関東大都市圏に属しているのは板倉町、明和町と旧邑楽郡の館林市のみ[1][注 2]。
郡域
[編集]1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記5町に館林市と太田市古戸町を加えた区域にあたる。
歴史
[編集]古くは邑楽(おはらぎ)と読まれた。
近世以降の沿革
[編集]- 1661年 - 後の徳川5代将軍徳川綱吉が館林城25万石の城主(館林宰相とよばれた)になるとの同時に、館林城に近い下野国2郡7村が本郡に編入し、綱吉の新領地に加わる。(1町91村)
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は関東在方掛の岩鼻陣屋が管轄。●は村内に寺社領が存在。(1町91村)
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 38村 | 大久保村、島村[2]、高鳥村[3]、海老瀬村、下五箇村、飯野村、斗合田村、江黒村、千津井村、板倉村、岩田村、浮戸村、内蔵新田村、離村、細谷村、大荷場村、除川村、秋妻村、瀬戸井村、古戸村、鍋谷村、●赤岩村、福島村、寄木戸村、●上小泉村、下小泉村、坂田村、古氷村、吉田村、石打村、下中森村、野辺村、木崎村、萱野村、上五箇村、須賀村、新福寺村、藤川村 |
藩領 | 上野館林藩 | 1町 40村 |
館林町[4]、川俣村、大佐貫村、矢島村、近藤村、入ヶ谷村、日向村、鶉村、鶉新田、赤堀村、狸塚村、光善寺村[5]、中野村、●堀工村、松原村、●羽附村、江口村、田島村、南大島村、新里村、中谷村、梅原村、青柳村、当郷村、●大新田、成島村、足次村、岡野村、高根村、木戸村、傍示塚村、上早川田村、下早川田村、新当郷村、田谷村、四ツ谷村、籾谷村、谷越村、●新宿村、小桑原村、赤生田村 |
上野前橋藩 | 1村 | 大輪沼新田、大輪沼新田ノ内・川俣村分(大輪沼新田のうち) | |
幕府領・藩領 | 幕府領・前橋藩 | 8村 | 西岡新田、●北大島村、西岡村、●大曲村、仙石村、舞木村、上中森村、大輪村 |
幕府領・館林藩 | 3村 | 篠塚村、上三林村、下三林村 | |
幕府領・三河西端藩 | 1村 | 古海村 |
- 慶応4年6月17日(1868年8月5日) - 新政府が岩鼻陣屋に岩鼻県を設置。幕府領・旗本領を管轄。
- 明治2年 - 前橋藩、館林藩の領地替えにより、古海村の西端藩領を除く全域が館林藩領となる。
- 明治4年
- 明治9年(1876年)(1町88村)
- 明治11年(1878年)12月7日 - 郡区町村編制法の群馬県での施行により、行政区画としての邑楽郡が発足。郡役所が館林町に設置。
町村制以降の沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町21村)
- 館林町 ← 館林町[大部分]、谷越村[大部分]、成島村[一部]、当郷村[一部](現・館林市)
- 郷谷村 ← 新当郷村、田谷村、四ツ谷村、当郷村[大部分]、館林町[一部](現・館林市)
- 大島村(単独村制。現・館林市)
- 西谷田村 ← 除川村、西岡村、西岡新田、細谷村、離村、大荷場村、大曲村(現・板倉町)
- 海老瀬村(単独村制。現・板倉町)
- 大箇野村 ← 大高島村、下五箇村、飯野村(現・板倉町)
- 伊奈良村 ← 板倉村、岩田村、籾谷村、内蔵新田村(現・板倉町)
- 赤羽村 ← 羽附村、赤生田村(現・館林市)
- 千江田村 ← 千津井村、江口村、江黒村、田島村、斗合田村(現・明和町)
- 梅島村 ← 新里村、梅原村、中谷村、南大島村(現・明和町)
- 佐貫村 ← 須賀村、大輪村、大輪沼新田、川俣村、大佐貫村、矢島村[大部分]、入ヶ谷村[一部](現・明和町)
- 六郷村 ← 新宿村、松原村、小桑原村、青柳村、近藤村、堀工村(現・館林市)
- 三野谷村 ← 上三林村、下三林村、野辺村、入ヶ谷村[大部分]、矢島村[一部](現・館林市)
- 富永村 ← 上五箇村、萱野村、木崎村、上中森村、下中森村、瀬戸井村[大部分]、赤岩村[一部](現・千代田町)
- 永楽村 ← 福島村、舞木村、鍋谷村、新福寺村、赤岩村[大部分]、瀬戸井村[一部](現・千代田町)
- 大川村 ← 仙石村、吉田村、古海村、寄木戸村、古氷村、坂田村(現・大泉町)
- 小泉村 ← 上小泉村、下小泉村(現・大泉町)
- 高島村 ← 藤川村、秋妻村、石打村(現・邑楽町)
- 中野村 ← 中野村、鶉村、鶉新田、光善寺村(現・邑楽町)
- 長柄村 ← 篠塚村、狸塚村、赤堀村(現・邑楽町)
- 多々良村 ← 高根村、木戸村、日向村、成島村[大部分]、谷越村[一部](現・館林市)
- 渡瀬村 ← 下早川田村、上早川田村、傍示塚村、足次村、大新田、岡野村(現・館林市)
- 古戸村が新田郡沢野村の一部となる。
- 明治29年(1896年)7月15日 - 郡制を施行。
- 明治35年(1902年)7月25日 - 小泉村が町制施行して小泉町となる。(2町20村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 「邑楽地方事務所」が館林町に設置され、本郡を管轄。
- 昭和29年(1954年)4月1日 - 館林町・郷谷村・大島村・赤羽村・六郷村・三野谷村・多々良村・渡瀬村が合併して館林市が発足し、郡より離脱。(1町13村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年(1956年)9月30日 - 千代田村の一部(旧長柄村の大字篠塚・狸塚・赤堀)が中島村に編入。
- 昭和32年(1957年)
- 昭和43年(1968年)4月1日 - 邑楽村が町制施行して邑楽町となる。(3町2村)
- 昭和57年(1982年)4月1日 - 千代田村が町制施行して千代田町となる。(4町1村)
- 平成10年(1998年)10月1日 - 明和村が町制施行して明和町となる。(5町)
変遷表
[編集]自治体の変遷
[編集]明治22年4月1日 | 明治22年 - 大正15年 | 昭和元年 - 昭和29年 | 昭和30年 | 昭和31年 - 昭和32年 | 昭和33年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
館林町 | 館林町 | 昭和29年4月1日 館林市 |
館林市 | 館林市 | 館林市 | 館林市 | 館林市 | ||
郷谷村 | 郷谷村 | ||||||||
大島村 | 大島村 | ||||||||
赤羽村 | 赤羽村 | ||||||||
六郷村 | 六郷村 | ||||||||
三野谷村 | 三野谷村 | ||||||||
多々良村 | 多々良村 | ||||||||
渡瀬村 | 渡瀬村 | ||||||||
小泉村 | 明治35年7月25日 町制 |
小泉町 | 小泉町 | 昭和32年3月31日 大泉町 |
大泉町 | 大泉町 | 大泉町 | ||
大川村 | 大川村 | 大川村 | 大川村 | ||||||
西谷田村 | 西谷田村 | 西谷田村 | 昭和30年2月1日 板倉町 |
板倉町 | 板倉町 | 板倉町 | 板倉町 | ||
海老瀬村 | 海老瀬村 | 海老瀬村 | |||||||
大箇野村 | 大箇野村 | 大箇野村 | |||||||
伊奈良村 | 伊奈良村 | 伊奈良村 | |||||||
高島村 | 高島村 | 高島村 | 昭和30年3月1日 中島村 |
中島村 | 昭和32年1月1日 改称 邑楽村 |
昭和43年4月1日 町制 |
邑楽町 | 邑楽町 | |
中野村 | 中野村 | 中野村 | |||||||
長柄村 | 長柄村 | 長柄村 | 昭和30年3月31日 千代田村 |
昭和31年9月30日 中島村に編入 | |||||
富永村 | 富永村 | 富永村 | 千代田村 | 昭和57年4月1日 町制 |
千代田町 | 千代田町 | |||
永楽村 | 永楽村 | 永楽村 | |||||||
千江田村 | 千江田村 | 千江田村 | 昭和30年3月1日 明和村 |
明和村 | 明和村 | 平成10年10月1日 町制 |
明和町 | ||
梅島村 | 梅島村 | 梅島村 | |||||||
佐貫村 | 佐貫村 | 佐貫村 |
行政
[編集]代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 林恪齋 | 明治11年(1878年)12月7日 | 明治12年(1879年)9月14日 | |
2 | 石川重玄 | 明治12年(1879年)9月24日 | 明治13年(1880年)10月29日 | |
高島邦臣 | 明治13年(1880年)11月9日 | 明治13年(1880年)11月27日 | 郡長心得 | |
3 | 村田保三 | 明治13年(1880年)11月13日 | 明治16年(1883年)6月19日 | |
4 | 村山具瞻 | 明治16年(1883年)6月19日 | 明治23年(1890年)12月6日 | |
5 | 八木始 | 明治23年(1890年)12月6日 | 明治27年(1894年)1月16日 | |
6 | 鹽谷良翰 | 明治27年(1894年)1月16日 | 明治29年(1896年)4月28日 | |
7 | 熊谷彦十郎 | 明治29年(1896年)4月28日 | 明治33年(1900年)3月12日 | |
8 | 小出雅雄 | 明治33年(1900年)3月12日 | 明治39年(1906年)1月29日 | |
9 | 鎗居亀太郎 | 明治39年(1906年)1月29日 | 明治42年(1909年)4月27日 | |
10 | 塙任 | 明治42年(1909年)4月27日 | 大正10年(1921年)3月5日[7] | |
11 | 堀太郎作 | 大正10年(1921年)3月5日[7] | 大正12年(1923年)1月22日[8] | |
12 | 中井久三 | 大正12年(1923年)1月22日[9] | 大正12年(1923年)11月30日[10] | |
13 | 鳥海喜久多 | 大正12年(1923年)12月24日[11] | 大正15年(1926年)7月1日[12] | 廃止 |
郡役所
[編集]明治11年から館林町字谷越町、明治43年館林町字大名小路に移転[13]。
注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ 総務省統計局 経済センサスと統計地図(大都市圏の売上高)【1.関東大都市圏】[1]
- ^ 記載は大久保村ノ内・島村。
- ^ 記載は大久保村ノ内・高島村。
- ^ 館林城下各町の総称。「旧高旧領取調帳」には記載なし。
- ^ 記載は中野村ノ内・光善寺。
- ^ 群馬県邑楽郡教育会 1917, p. 358.
- ^ a b “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年9月24日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年9月24日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年9月24日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年9月24日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年9月24日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年9月24日閲覧。
- ^ 群馬県邑楽郡教育会 1917, pp. 357–358.
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 10 群馬県、角川書店、1988年6月1日。ISBN 4040011007。
- 群馬県邑楽郡教育会 編『群馬県邑楽郡誌』群馬県邑楽郡教育会、1917年。doi:10.11501/951646。
- 旧高旧領取調帳データベース