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丸茂作太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
丸茂作太郎
まるも さくたろう
生年月日 1903年5月25日
出生地 日本の旗 日本 長野県諏訪郡玉川村
(現・長野県茅野市
没年月日 1988年
出身校 旧制東京高等蚕糸学校卒業
(現・東京農工大学
前職 実業家
所属政党 無所属

当選回数 1回
在任期間 1967年4月30日 - 1971年4月29日

第2代 茅野市議会副議長
在任期間 1959年5月8日 - 1961年4月28日

茅野市議会議員
茅野町議会議員
在任期間 1959年 - ?

永明村会議員
在任期間 1942年 - ?
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丸茂 作太郎(まるも さくたろう、1903年明治36年)5月25日[1][2][3] - 1988年昭和63年)[4])は、昭和期の実業家政治家長野県茅野市長。

来歴

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長野県諏訪郡玉川村[4](現・茅野市)で、丸茂米作、きち の四男として生まれた[1][4]。生家は製糸業で[4]、旧制諏訪中学(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、旧制東京高等蚕糸学校(現・東京農工大学)卒業[1][2][4]1927年(昭和2年)丸茂製糸場に入社[1][2]1932年(昭和7年)同郡永明村(現・茅野市)に丸茂製糸工場を設立した[1][4]

1941年(昭和16年)永明村翼賛壮年団長に就任[1][2]1942年(昭和17年)永明村会議員となった[1][2][3][4]。以後、ちの町消防団長、茅野町消防団長、茅野町議会議員などを歴任[1][2]。茅野市発足後、消防団長、長野県消防協会副会長、茅野市商工会議所副会頭を務めた[4]1959年(昭和34年)茅野市議会議員に選出された[1][2][3]。同年5月8日から1961年(昭和36年)4月28日まで同第2代議長を務めた[5]

1967年茅野市長選挙

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1967年(昭和42年)4月28日の茅野市長選挙に立候補して、新人2人を破って初当選を果たした[6]


※当日有権者数:-人 最終投票率:95.11%(前回比:増加0.93pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
丸茂作太郎63無所属9,733票43.4%-
原田文也51無所属8,505票37.9%-
矢崎哲男56無所属4,198票18.7%-

同月30日に就任した[2]。在任中は市営団地の造成や、観光開発、道路行政に力を入れ[2]、道路行政に力を注ぎ道路市長と称された[4]

1971年茅野市長選挙

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1971年(昭和46年)の市長選挙に立候補し、社会党推薦の新人を含め3人の争いとなったが、新人の原田文也に敗れた[7]


※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
原田文也-無所属11,093票45.5%-
丸茂作太郎-無所属7,151票29.3%-
机元三-無所属6,117票25.1%日本社会党推薦

4月29日に退任した[2]

また1972年(昭和47年)全国国用器械製糸工業組合連合会理事、1975年(昭和50年)長野県国用器械製糸工業組合理事を歴任し、製糸業の発展に貢献した[4]

人物

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  • 宗教は仏教で、趣味は園芸[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『長野県人名鑑』504頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『日本の歴代市長 第2巻』298頁。
  3. ^ a b c d 東京紳士録 昭和43年版 69コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b c d e f g h i j 『長野県歴史人物大事典』666頁。
  5. ^ 歴代正副議長 - 茅野市議会 - 茅野市ホームページ(議会事務局)”. www.city.chino.lg.jp. 2024年7月21日閲覧。
  6. ^ 信濃毎日新聞に見る一一〇年 昭和編 877コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 資料長野県労働運動史 第5巻 (1968-1972) 236コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 『長野県人名鑑』信濃毎日新聞社、1974年。
  • 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
  • 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。

外部リンク

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公職
先代
小川一雄
茅野市旗長野県茅野市長
1967年 -1971年
次代
原田文也