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丹内祐次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
丹内祐次
医王寺特別表彰式(2024年4月14日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道函館市
生年月日 (1985-11-05) 1985年11月5日(39歳)
身長 165 cm
体重 47 kg
血液型 O型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 美浦・清水美波(2004.3.1 -2014.2.28)
美浦・フリー(2014.3.1-)
初免許年 2004年
免許区分 平地・障害
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丹内 祐次(たんない ゆうじ、1985年11月5日 - )は、JRA美浦トレーニングセンター所属の騎手

人物

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1985年北海道函館市出生[1]。実家の近くに函館競馬場があり、登校途中に調教を見学するうちに競馬に興味を持ち始め、中2の頃には騎手になることを決心したという[2]

2004年第20期生として競馬学校騎手課程を卒業[3]。美浦・清水美波 (以下"清水")厩舎所属騎手としてデビュー。同期には川田将雅藤岡佑介吉田隼人津村明秀らがいる。1年目は8勝という成績に終わるも、師匠である清水のサポートもあり、 翌2005年には勝ち星を27勝にまで伸ばし特別戦勝利も達成。新潟2歳ステークスにて重賞初騎乗を記録し、 年末の朝日杯フューチュリティステークス・スロクハイネスにてGI初騎乗の予定だったが、跛行に因る出走取消という不運に見舞われた [4] [5]

そして2006年、この年も順調に勝利を積み重ねていたが8月の新潟競馬にて落馬、右上腕骨骨折の重傷を負う。この時丹内は「余りの痛さに折れていることがすぐにわかった」という。全治3か月と診断されたが、4か月経っても消えない痛みを押して調教を再開。しかし無理が祟り再手術を要するほどに患部を痛めてしまう。手術は「腰の骨を腕に移植して、プレートとピンを2本入れる」という大がかりなものとなり、レース復帰は2007年6月までずれこんだ[2]

しかし休養の間に減量期間が終了し騎乗依頼が減少、また長く実戦から離れレース勘を失ったこと。さらに翌2008年には体内のピン破損に因る右肩痛を発症、手術のために休養に入るなど多くの影響で復帰後の成績は低迷、2年連続で勝利数1桁に終わった[2]。一時は引退も考えたが清水やマイネル軍団総帥岡田繁幸らのサポートもあり[2]、2010年には騎乗数・勝利数をともに伸ばし特別戦9勝を含む20勝をマーク。近年はビッグレッドファームサラブレッドクラブ・ラフィアン所有馬への騎乗を増やしている。

2005年の朝日杯出走馬取消後、GIへの騎乗を果たせずにいたが、2011年天皇賞(春)コスモメドウに騎乗し、6年越しでGI初騎乗が実現するも、2周目最後の直線で競走中止し、コスモメドウは予後不良となってしまう不運に見舞われた。

2014年2月永く丹内を支えてきた清水が定年により勇退[6]。 それに伴いフリー騎手となったが、勝ち鞍を積み続け、翌2015年佐賀記念マイネルクロップで制し重賞(ダートグレード競走)初勝利をあげる[7]と、翌月には同馬でマーチステークスを勝ち、中央競馬重賞初制覇も達成した[8]

騎乗成績

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日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2004年3月6日 1回中京1日5R 4歳上500万円以下 ディヴァインリー 16頭 13 12着
初勝利 2004年4月10日 1回福島3日2R 3歳未勝利 スピードタイガー 11頭 1 1着
重賞初騎乗 2005年9月4日 3回新潟8日11R 新潟2歳ステークス マイネルグリッツァ 18頭 9 10着
重賞初勝利 2015年2月10日 佐賀10R 佐賀記念 マイネルクロップ 12頭 1 1着
GI初騎乗 2011年5月1日 3回京都4日11R 天皇賞(春) コスモメドウ 18頭 10 中止
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2004年 8 15 10 250 .032 .092 .132
2005年 27 22 36 584 .046 .084 .146
2006年 11 11 21 319 .034 .069 .135
2007年 11 11 19 272 .040 .081 .151
2008年 3 2 8 211 .014 .024 .062
2009年 8 12 11 365 .022 .055 .085
2010年 20 11 34 525 .038 .059 .124
2011年 32 63 51 617 .052 .154 .237
2012年 19 32 34 534 .036 .096 .159
2013年 16 43 37 571 .028 .103 .168
2014年 22 21 18 421 .052 .102 .145
2015年 25 35 29 540 .046 .111 .165
2016年 20 26 30 526 .038 .087 .144
2017年 28 36 35 572 .049 .112 .173
2018年 12 22 31 595 .020 .057 .109
2019年 27 46 49 656 .041 .111 .186
2020年 29 41 54 720 .040 .097 .172
2021年 38 66 67 755 .050 .138 .226
2022年 64 74 70 804 .080 .172 .259
2023年 53 86 75 862 .061 .161 .248
中央 473 675 719 10699 .044 .107 .174
地方 36 37 45 439 .082 .166 .268

表彰

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重賞勝利

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  • JRA重賞出典[11]/NAR重賞出典[7]

脚注

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  1. ^ 週刊Gallop 2011年8月1日発売号「FACE 丹内祐次騎手」
  2. ^ a b c d 大怪我から復活し、地元で重賞に挑戦する1人のジョッキーの物語”. 平松さとし (2020年7月14日). 2020年8月4日閲覧。
  3. ^ 騎手課程卒業者名簿”. JRA. 2020年8月4日閲覧。
  4. ^ 明日の出走取消について”. ラジオNIKKEI (2005年12月10日). 2020年8月4日閲覧。
  5. ^ 第57回朝日FS成績”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2005年12月12日). 2020年8月4日閲覧。
  6. ^ 定年・松山康師今週がラスト」『夕刊フジ』産業経済新聞社、2014年2月22日。2020年8月5日閲覧。
  7. ^ a b 【佐賀記念】マイネルクロップが重賞初V!」『サンケイスポーツ』2015年2月10日。2015年4月5日閲覧。
  8. ^ マイネルクロップが重賞連勝! 丹内騎手はJRA重賞初制覇/マーチS - netkeiba.com、2015年3月29日閲覧
  9. ^ JRA騎手名鑑/丹内祐次”. JRA. 2020年8月4日閲覧。
  10. ^ 丹内祐次 重賞出走レース”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2020年8月4日閲覧。
  11. ^ 丹内祐次 重賞勝利レース”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2020年8月4日閲覧。
  12. ^ フルデプスリーダー”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2022年8月7日閲覧。

関連項目

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