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丹羽氏興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
丹羽氏興
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天文5年(1536年)2月23日
別名 平左衛門、平左衛門尉、平三郎
戒名 性菴道見
主君 織田信定
氏族 丹羽氏
父母 父:丹羽氏員
兄弟 氏清、右京進
平三郎氏重[1] 兵藤新五左衛門座敷室[2]丹羽氏清(一部系図によると実弟)
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丹羽 氏興(にわ うじおき、生年不詳 - 天文5年2月23日1536年3月15日[3])は、戦国時代の武将。丹羽氏員の嫡子で二代本郷城主。永正8年(1511年)父の領地を継ぐ。通称は平左衛門、平三郎。父新介氏員は、織田敏定のち織田信定に属し、本郷城に住みだす。子に丹羽氏清。弟に右京進がおり、藤島に分家して藤島城を築城した。その息子に本家と勢力争いをした氏秀がいる。

系譜

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脚注

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  1. ^ 一部系図による
  2. ^ 一部系図による
  3. ^ 『尾張群書系図部集』
  4. ^ 『各家系譜』より。明治期成立の書物であり、出典は不明

関連項目

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