丹羽長之
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丹羽長之 | |
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 明暦2年3月21日(1656年4月15日) |
死没 | 元禄13年12月7日(1701年1月15日) |
改名 | 重昌(初名)、長之 |
別名 | 通称:主殿 |
戒名 | 巖枩院殿前越州太守徴外宗紘大居士 |
墓所 | 福島県二本松市の大隣寺 |
官位 | 従五位下越前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 陸奥二本松藩主 |
氏族 | 丹羽氏 |
父母 |
父:丹羽光重、母:松田氏 養父:丹羽長次 |
兄弟 | 長次、長之、千子、久勝院、西尾忠成正室 |
妻 |
正室:なし 側室:松木氏 |
子 | 秀延、娘(丹羽高寛正室) |
丹羽 長之(にわ ながゆき)は、江戸時代前期の大名。陸奥国二本松藩3代藩主。通称は主殿。官位は従五位下・越前守。丹羽家第4代。
略歴
[編集]貞享4年(1684年)9月6日、第5代将軍・徳川綱吉にお目見えする。元禄5年(1692年)7月26日、子のなかった兄・長次の養子となる。同年8月15日、将軍・徳川綱吉に改めてお目見えする。同年12月18日、従五位下越前守に叙任する。元禄11年(1698年)8月23日、家督を相続した。元禄13年(1700年)に死去した。
跡を長男・秀延が継いだ。戒名は巖枩院殿前越州太守徴外宗紘大居士。墓所は福島県二本松市の大隣寺。
系譜
[編集]父母
側室
- 松本氏
子女