丹羽長徳
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丹羽長徳 にわ ながのり | |
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生年月日 | 1873年8月4日 |
没年月日 | 1947年11月20日(74歳没) |
出身校 | 学習院修了 |
所属政党 | 研究会 |
配偶者 | 丹羽組子 |
親族 |
兄・伊達宗陳(貴族院議員) 弟・二荒芳徳(貴族院議員) 義弟・丹羽長保(貴族院議員) |
在任期間 | 1911年7月10日 - 1925年7月9日 |
丹羽 長徳(にわ ながのり、1873年(明治6年)8月4日[1] - 1947年(昭和22年)11月20日[1][注 1])は、明治から大正期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧名・伊達誠一[1][2]。
経歴
[編集]旧宇和島藩主・伊達宗徳の六男として生まれ、1902年(明治35年)9月、子爵・丹羽長国の養子となり長徳と改名[1][2][3]。養父の死去に伴い、1904年(明治37年)1月23日、子爵を襲爵した[1][2][3][4]。
学習院を修了し、農村経済に関する調査に従事した[3][5]。
1911年(明治44年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[6][7]、研究会に所属して活動し[5]、1925年(大正14年)7月9日まで2期在任した[5]。
親族
[編集]- 妻 - 丹羽組子(くみこ、丹羽長国五女)[1]
- 長女 - 岩崎誠子(せいこ、岩崎清一郎の妻)[1]
- 二女 - 武藤文子(ふみこ、武藤金太の妻)[1]
- 長男 - 丹羽孝一(こういち、1910-1951) ‐ 16代目当主[1] 。妻のヤスは前山久吉の娘[8]。
- 孫 - 丹羽長聰(ながとし、17代目当主。東京二本松会会長)[9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』50頁では11月22日。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 丹羽長国 |
子爵 (二本松)丹羽家第4代 1904年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |
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