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久保城 (下総国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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久保城
千葉県
久保城
久保城
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 千葉胤貞
遺構 土塁
指定文化財 なし
位置 北緯35度44分43.0秒 東経140度29分10.8秒 / 北緯35.745278度 東経140.486333度 / 35.745278; 140.486333座標: 北緯35度44分43.0秒 東経140度29分10.8秒 / 北緯35.745278度 東経140.486333度 / 35.745278; 140.486333
地図
久保城の位置(千葉県内)
久保城
久保城
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久保城(くぼじょう)は、千葉県香取郡多古町北中にあった日本の城

歴史

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鎌倉時代末期、千田荘千葉胤貞の所領となっていた。胤貞の所領は、臼井荘八幡荘にもあったが、父親の宗胤と同じく千田太郎を称し、「千田殿」と呼ばれていた[1]

久保城は、胤貞が居館として築いたものと伝わる。多古の中心ともいえる中村に創建された古刹日本寺の古文書にも、胤貞の居館は 「久保(窪)」にあったと記されている。久保城は土地の伝承と古文書からも、「千田殿」と呼ばれていた胤貞の存在を裏付ける重要な城である[2]

構造

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久保集落北西の半島状に突き出た台地上にある。先端部は周囲が急峻で、城館にふさわしい地形をしている。久保城周辺には土塁や空堀などの遺構が残っている。

アクセス

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脚注

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  1. ^ 『多古町ぶらり散歩』 多古町教育委員会 P12
  2. ^ 久保城 御城印