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久保田克昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

久保田 克昭(くぼた かつあき、1961年9月4日[1] - )は、日本実業家レーシングドライバー兵庫県出身[1]

パソコンの周辺機器メーカー・プラネックスコミュニケーションズの創業者で、2024年現在も代表取締役を務める。一方で、いわゆる「ジェントルマンドライバー」として数多くのレースに参戦している。

略歴

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実業家

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1980年兵庫県立東灘高等学校を卒業[2]。アパレル、外資系のコンピューターソフト、機器などの企業を経て、1995年7月にプラネットジャパン(現在のプラネックスコミュニケーションズ)を設立[2]。設立のきっかけは、外資系メーカーでLAN関係の製品を扱っていたとき、マニュアル等が翻訳されないまま販売されるケースが多く「作り手目線での商売になっていて、ユーザーの立場に立っていない」と思い、そこにビジネスチャンスを感じたことだという[3]

以後同社社長として、同社をJASDAQ上場企業にまで育て上げた。

レーシングドライバー

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レースの世界に足を踏み入れたのは、本人によれば「知人の誘いで、2002年モナコ・ヒストリック・グランプリ英語版を見に行った」のがきっかけ[4]。そこでレースの世界に魅せられた久保田は、翌2003年GC-21へ参戦したのを皮切りにレーシングドライバーとしての活動を開始し、以後全日本F3選手権FIA-F4選手権などに参戦、ジェントルマンドライバーとして活動を続けた。

中でも自身のレース活動の契機になったモナコ・ヒストリックGPへの思いは強く、2006年にはロータス・49Bで初参戦を果たすと、2014年にはついにポールポジションを獲得しレースでも初優勝[4]2024年にはロータス・72で同レースのセリエDクラスに参戦し、エイドリアン・ニューウェイらのライバルを抑え2度目のクラス優勝を果たした[5]

レース戦績

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脚注

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