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久米又三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

久米 又三(くめ またぞう 1899年10月21日 - 1976年5月9日)は、日本の生物学者教育者

経歴

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1899年、兵庫県神戸市に生まれる。1924年東京帝国大学理学部動物学科で動物発生学を専攻して卒業後、東京女子高等師範学校を経てお茶の水女子大学教授、同大学付属図書館長、理学部長を経て[1]1960年から1965年までお茶の水女子大学の学長を務めた[2]。学長時代には大学院の設置に尽力した。

学外では、大学基準等研究協議会、大学設置審議会、公立大学調査委員会の各委員を務めた。

1976年5月9日、肺線維症のため聖路加国際病院で死去。76歳[3]。墓所は台東区寛永寺

著書

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  • 『鶏の発生図説』成美堂、1939年
  • 『無脊椎動物発生学』(團勝磨との共著)培風館、1958年
  • 『脊椎動物発生学』培風館、1966年
  • 『生物実験図鑑』(監修)講談社、1969年

脚注

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  1. ^ 20世紀日本人名事典”. 日外アソシエーツ. 2021年1月6日閲覧。
  2. ^ 本学歴代学長一覧”. お茶の水女子大学 (2016年7月5日). 2021年1月6日閲覧。
  3. ^ 訃報欄『朝日新聞』1976年(昭和51年)5月10日朝刊、13版、23面