乙羽岳

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乙羽岳
古宇利島から望む乙羽岳
標高 275.4 m
所在地 日本の旗 日本沖縄県国頭郡今帰仁村
位置 北緯26度40分11秒 東経127度57分48秒 / 北緯26.66972度 東経127.96333度 / 26.66972; 127.96333 (乙羽岳)座標: 北緯26度40分11秒 東経127度57分48秒 / 北緯26.66972度 東経127.96333度 / 26.66972; 127.96333 (乙羽岳)
乙羽岳の位置(沖縄本島内)
乙羽岳
乙羽岳 (沖縄本島)
乙羽岳の位置(南西諸島内)
乙羽岳
乙羽岳 (南西諸島)
乙羽岳の位置(日本内)
乙羽岳
乙羽岳 (日本)
プロジェクト 山
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乙羽岳(おっぱだけ[1]、おとわだけ[2])は、沖縄県国頭郡今帰仁村に位置する、標高275.4メートル

地理[編集]

沖縄本島北部から突出する本部半島の北東部に位置する[3]沖縄県国頭郡今帰仁村の中央部にそびえ[1]大字の「謝名(じゃな)」のうち、小字は「乙羽原(ウッパバル、オッパバル)」に属する[4]

標高は275.4メートル、今帰仁村と本部町の境界を東西に走る山地の最東部にある[3][注 1]。本部半島北側の乙羽岳を主体とする山塊と、同半島南側にある八重岳嘉津宇岳安和岳の連山との間には、東西に伸びる構造線で分断されている[6]。本山の南側に丘陵が広がり、周縁に砂礫段丘が形成されている[7]。標高50メートル以下に分布する海岸段丘面は、浸食により形成された丘陵が見られる[8]

本山を含む山地は、石灰岩千枚岩から構成され[8]カルスト地形が発達している[9]。本山を模式地として命名された「乙羽岳層」は、凝灰質チャートを多く含む、中生代三畳紀地層である[10]。沖縄県天然記念物に指定されているコノハチョウフタオチョウをはじめ、県内に生息するチョウの約9割の種類を観察できる[11]イタジイタブノキイスノキなどの照葉樹が生育している[12]。乙羽岳の南麓から、大井川が北に流れる[8]

歴史[編集]

方言で、「ウッパヤマ」または「ウッパダキ」という。由来は、北山の時代に、北山王の腹心であった本部大腹の謀反により、王の妻子が逃亡した際、友軍に助けられた故事といわれる。この時、王子を背負って山中を逃げ回ったとされ、「背負う」または「おぶる」ことを、今帰仁の方言で「ウッパ」ということから、この山は「ウッパヤマ」と呼ばれるようになったと伝えられる[3]。近世の資料に「おつわ山」と記され[4]、また地元住民からは「オッパイ岳」と呼ばれている[13]

沖縄本島北部のテレビ難視聴地域解消のため、沖縄放送協会NHK沖縄放送局の前身)が本山山頂に今帰仁テレビ中継放送所として、1969年(昭和44年)7月に建設を開始、同年12月1日に完成した[14]。中継局が完成した日に、UHF電波が山頂から発信、沖縄県で初のUHF放送が開始された[15]

1977年(昭和52年)に、沖縄県より干害防備および保健保安林として、本山の約68ヘクタールが指定された[3]。1981年(昭和56年)から、林野庁治山事業の一環として、沖縄県により実施された生活環境保全林整備事業は、1984年(昭和59年)4月に完成、当事業を今帰仁村に引き渡した。同事業は、沖縄本島で初めて乙羽岳で行われ、本山を囲むように整備された遊歩道沿いに、ツツジイジュイヌマキなど約9,600本が植樹された[16]

1984年(昭和59年)、本山頂上に展望台が整備された[17]。広さ181平方メートル、高さ6メートルの円盤状の鉄筋コンクリート製で、今帰仁村で建設された最初の展望台である[18]。1989年(平成元年)にキャンプ場[11]、1992年(平成4年)に沖縄県内の公共施設で初めてバンガローが建設された[19]。1995年(平成7年)に、「乙羽岳からの眺望」として『新おきなわ観光名所100選』に選定された[13]。乙羽岳と繋がる道路として、2000年(平成12年)に今帰仁村道が[20]、2006年(平成18年)に同村道と沖縄県道84号線を結ぶ本部町道が開通した[21]

2012年(平成24年)、NPO法人地域活性化支援センターが、プロポーズにふさわしいデートスポットを選定する「恋人の聖地」に、本山の展望台と、今帰仁村では「恋島」とも呼ばれる古宇利島を望める景色を含め、「恋島(くいじま) / 乙羽岳森林公園展望台」として認定された[22][23]

観光[編集]

山頂に設置された展望台からの眺望はよく、今帰仁村全域はもとより羽地内海屋我地島古宇利島を俯瞰し、また南は恩納村までの国頭山地、北は伊平屋・伊是名島鹿児島県奄美群島与論島まで遠望できる[3]

山域には「乙羽岳森林公園」が整備され、キャンプ場バンガロー施設のほか、森林遊歩道が設置されている[24]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 今帰仁村の最高峰は、「パサンチヂ」 (292.1m) で、乙羽岳と山地が連なる[5]

出典[編集]

  1. ^ a b 田港朝茂「乙羽岳」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.603
  2. ^ 「乙羽岳」、徳久ら(2011年)、p.214
  3. ^ a b c d e 「乙羽岳」、角川日本地名大辞典編纂委員会編(1986年)、p.241
  4. ^ a b 「謝名の小字」、沖縄県今帰仁村歴史文化センター編(1997年)、p.118
  5. ^ 「与那嶺の小字」、沖縄県今帰仁村歴史文化センター編(1997年)、p.86
  6. ^ 「本部半島」、角川日本地名大辞典編纂委員会編(1986年)、p.683
  7. ^ 沖縄県農林水産行政史編集委員会編(1989年)、p.206
  8. ^ a b c 平井秀一「地誌編 今帰仁村」、角川日本地名大辞典編纂委員会編(1986年)、p.872
  9. ^ 沖縄県農林水産行政史編集委員会編(1989年)、p.205
  10. ^ 大城逸郎「乙羽岳」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.603
  11. ^ a b 「自然学習に最適 植物・生物の宝庫 乙羽岳キャンプ場」『琉球新報』、2000年5月14日、25面。
  12. ^ 新里孝和「沖縄島本部半島の植物相」、沖縄県教育庁文化財課史料編集班編(2015年)、p.469
  13. ^ a b 『新おきなわ観光名所100選』(1995年)、p.45
  14. ^ 「"はっきり映ります" 今帰仁TV中継所完成 北部離島までカバー」『琉球新報』、1969年12月3日、朝刊、8面。
  15. ^ 沖縄郵政管理事務所編(1974年)、p.741
  16. ^ 「森林浴が楽しみに 完成した乙羽山保全林事業」『沖縄タイムス』、1984年4月11日、朝刊、11面。
  17. ^ じゃな誌編集委員会編(1987年)、p.141
  18. ^ 「羽地内海など一望に 乙羽岳頂上に展望台建設」『沖縄タイムス』、1984年3月20日、朝刊、12面。
  19. ^ 「ぶらり散歩 乙羽岳」『沖縄タイムス』、1993年1月10日、朝刊、22面。
  20. ^ 「山間道路が開通 今帰仁村道平敷伊豆味線 乙羽岳公園にアクセス」『沖縄タイムス』、2000年7月3日、朝刊、17面。
  21. ^ 「伊豆味親名線が開通 名護へのアクセス向上」『琉球新報』、2006年11月19日、朝刊、26面。
  22. ^ 「「恋島」を眺めプロポーズを 「恋人の聖地」に乙羽岳展望台」『琉球新報』、2012年6月1日、32面。
  23. ^ 「「恋人の聖地」に選定 今帰仁 乙羽岳展望台→古宇利島」『沖縄タイムス』、2012年6月1日、30面。
  24. ^ 財団法人沖縄観光コンベンションビューロー編(2010年)、p.427

参考文献[編集]

  • 沖縄県教育庁文化財課史料編集班編 『沖縄県史 各論編 第1巻 自然環境』 沖縄県教育委員会、2015年。
  • 沖縄県今帰仁村歴史文化センター編 『なきじん研究 Vol.7 今帰仁の地名 - 字名と小字 -』 沖縄県今帰仁村教育委員会今帰仁村歴史文化センター、1997年。
  • 沖縄県農林水産行政史編集委員会編 『沖縄県農林水産行政史 第7巻(林業編)』 農林統計協会、1989年。
  • 沖縄大百科事典刊行事務局編『沖縄大百科事典沖縄タイムス社、1983年。 全国書誌番号:84009086
  • 沖縄郵政管理事務所編 『琉球郵政事業史』 丸正印刷社、1974年。
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 47.沖縄県』角川書店、1986年。ISBN 4-04-001470-7 
  • 財団法人沖縄観光コンベンションビューロー編『美ら島 2009年版』沖縄観光コンベンションビューロー、2010年。ISBN 4-903972-02-X 
  • じゃな誌編集委員会編 『じゃな誌』 今帰仁村謝名公民館、1987年。
  • 徳久球雄、石井光造、武内正 編『三省堂日本山名事典 改訂版』三省堂、2011年。ISBN 978-4-385-15428-2 
  • 『新おきなわ観光名所100選』 琉球新報社、1995年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]