九州派
九州派(きゅうしゅうは)は、1950年代~1960年代に活動した日本の前衛芸術グループ。
概要
[編集]1956年11月に福岡県庁西側大通りの壁面(約300メートル)を使った「ペルソナ展」を行ったメンバーにより、桜井孝身、オチオサム、働正、菊畑茂久馬の4人を中心に据えて、翌1957年に福岡市で結成された。
1957年の読売アンデパンダン展に参加し、その理念を九州に持ち帰った。同年7月に「西日本美術展出品者大会」、8月に「グループQ十八人展」、11月に「第二回九州派街頭展」など、主に地元の福岡市を中心に活動した。
1958年の読売アンデパンダン展では出品を拒否され、同年8月に自ら八幡美術工芸館(現・北九州市立八幡市民会館 美術展示室)で「第一回全九州アンデパンダン展」を主催。針生一郎らを招き「出品者懇談会」を行った。
1959年5月、西日本新聞社講堂で「第二回全九州アンデパンダン展」を主催。公募団体から200人弱の芸術家が九州派になだれこみ、翌1960年まで、グループ展や個展が活発に続き、「北九州アンデパンダン展」、「久留米アンデパンダン展」なども行われた。
1960年にはオチオサム、菊畑茂久馬、山内重太郎が脱退し、洞窟派を立ち上げたが、翌1961年に九州派に復帰。
1961年4月に東京国立近代美術館での「現代美術の実験展」にオチオサム、菊畑茂久馬の作品が選ばれたことで、九州派は自らの解散決議を行い、その可決によって解散したはずだったが、1ヵ月後に復活。翌1962年9月に美目画廊で九州派展を主催、同年11月に「英雄たちの大集会」を行い、その活動を終えた。
三池闘争と朝鮮戦争に刺激を受けて、ある種の熱気を持った九州に生まれたこのグループは、労働戦線の人間と彼らをとりまく文学者と多く交流を持ち、その枠組みの中で「反東京」「反芸術」を含む組織論や表現論を生活原理の上で査証しようと試みたグループだった。
1988年に福岡市美術館学芸員の黒田雷児が回顧展を手がけ、再び注目されるようになった[1]。
参加作家
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参考文献
[編集]- 『福岡市美術館業叢書6:九州派大全』(公財)福岡市文化芸術振興財団/グラムブックス、2015年。
関連項目
[編集]同時代に活動した日本の前衛芸術グループ
- ^ “東京中心のアート界の構造に挑む。山本浩貴評「九州派/東京地方 突如来演 2020」”. 美術手帖. 2024年8月29日閲覧。