亀井喜一郎
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亀井 喜一郎(かめい きいちろう、1877年(明治10年)9月11日[1] - 1935年(昭和10年)8月2日[2])は、日本の銀行家。函館製綿監査役[3]。函館貯蓄銀行支配人[1][4][5]・同行取締役[2]。族籍は北海道平民[1][5][6]。評論家亀井勝一郎の父[4]。
人物
[編集]北海道・工藤嘉七の叔父[6]。1906年、先代亀井ミヤの入夫となり[1]、家督を相続した[6]。東京専門学校(現・早稲田大学)邦語行政科卒業[6][7]。函館貯蓄銀行支配人をつとめ[5]、1919年に辞任する[8]。北海道函館市元町[3][5][7]。
家族・親族
[編集]- 亀井家
- 祖母・テフ(1850年 - ?、北海道、田畑杉太郎の姉)[5][6]
- 妻
- 男・勝一郎(1907年 - 1966年、評論家、芸術院会員)[4]
- 二男・勝次郎[5][6](1910年 - 1981年、建築家)
- 三男・勝三(1915年 - ?)[5][6]
- 三女・久美子(1914年 - ?)[5][6]
- 四女・百子(1917年 - ?)[5][6]
- 親戚
- 工藤嘉七(地主、海陸物産商、米穀商)
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『人事興信録 第5版』か137頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月23日閲覧。
- ^ a b 『官報 1935年10月12日』官報 第2635号 15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年2月4日閲覧。
- ^ a b 『官報 1926年03月15日』官報 第4064号 395頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年2月4日閲覧。
- ^ a b c 亀井 勝一郎とはコトバンク。2019年1月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第6版』か120頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第7版』か142頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月23日閲覧。
- ^ a b 『会員名簿 昭和2年11月』244頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月23日閲覧。
- ^ 『官報 1919年07月07日』官報 第2076号附録 10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年2月4日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1919年07月07日』日本マイクロ写真、1919年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1926年03月15日』日本マイクロ写真、1926年。
- 『会員名簿 昭和2年11月』早稲田大学校友会、1927年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1935年10月12日』日本マイクロ写真、1935年。