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亀井茲満

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
亀井 茲満
時代 江戸時代中期
生誕 正徳3年7月18日1713年9月7日
死没 享保21年4月9日1736年5月19日
改名 松之助・松之丞(幼名)、茲満
戒名 養壽院殿宗月源光大居士
墓所 島根県鹿足郡津和野町亀井家墓所
官位 従五位下、因幡
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
石見国津和野藩
氏族 亀井氏
父母 父:亀井茲親、母:宗義真の娘・覚知院
兄弟 茲長菅沼定好、伊織、万吉、茲満、茄之助
板倉重泰の娘
松五郎、千之助、養子:茲延
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亀井 茲満(かめい これみつ)は、石見津和野藩の第4代藩主。津和野藩亀井家5代。

生涯

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正徳3年(1713年)7月18日、第3代藩主亀井茲親の六男として津和野で生まれる。享保11年(1726年)に長兄で世嗣だった茲長が死去したため、11月26日に世子に指名され、享保12年(1727年)に第8代将軍徳川吉宗御目見し、12月に従五位下・因幡守に叙位・任官する。

享保16年(1731年)、父の死去に伴い津和野藩主となる。享保17年(1732年)に享保の大飢饉による被害を受け、幕府の援助を受けて再建を図るが、3万3780石の被害と1万1141人の餓死者を出したとされている。その後は藩の再建を目指すが、享保21年(1736年)4月9日に津和野で死去した。享年24。

跡を甥で養子の茲延が継いだ。