亀井茲満
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 正徳3年7月18日(1713年9月7日) |
死没 | 享保21年4月9日(1736年5月19日) |
改名 | 松之助・松之丞(幼名)、茲満 |
戒名 | 養壽院殿宗月源光大居士 |
墓所 | 島根県鹿足郡津和野町の亀井家墓所 |
官位 | 従五位下、因幡守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 石見国津和野藩主 |
氏族 | 亀井氏 |
父母 | 父:亀井茲親、母:宗義真の娘・覚知院 |
兄弟 | 茲長、菅沼定好、伊織、万吉、茲満、茄之助 |
妻 | 板倉重泰の娘 |
子 | 松五郎、千之助、養子:茲延 |
亀井 茲満(かめい これみつ)は、石見津和野藩の第4代藩主。津和野藩亀井家5代。
生涯
[編集]正徳3年(1713年)7月18日、第3代藩主亀井茲親の六男として津和野で生まれる。享保11年(1726年)に長兄で世嗣だった茲長が死去したため、11月26日に世子に指名され、享保12年(1727年)に第8代将軍徳川吉宗に御目見し、12月に従五位下・因幡守に叙位・任官する。
享保16年(1731年)、父の死去に伴い津和野藩主となる。享保17年(1732年)に享保の大飢饉による被害を受け、幕府の援助を受けて再建を図るが、3万3780石の被害と1万1141人の餓死者を出したとされている。その後は藩の再建を目指すが、享保21年(1736年)4月9日に津和野で死去した。享年24。
跡を甥で養子の茲延が継いだ。