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亀山市立中部中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
亀山市立中部中学校
地図北緯34度52分34.2秒 東経136度28分33.9秒 / 北緯34.876167度 東経136.476083度 / 34.876167; 136.476083座標: 北緯34度52分34.2秒 東経136度28分33.9秒 / 北緯34.876167度 東経136.476083度 / 34.876167; 136.476083
国公私立の別 公立学校
設置者 亀山市
設立年月日 1947年7月14日
共学・別学 男女共学
学校コード C124221030029 ウィキデータを編集
所在地 519-0213
三重県亀山市田村町75
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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亀山市立中部中学校(かめやましりつちゅうぶちゅうがっこう)は、三重県亀山市にある中学校である。校区内にある井田川川崎野登の各小学校とは同じ起源を持ち、これらの小学校の卒業生の主な進学先となっている。

沿革

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  • 1947年4月 学制改革により、鈴鹿郡井田川村川崎村野登村の各国民学校の高等科がそれぞれ村立の井田川中学校、川崎中学校、野登中学校となる。
  • 1947年7月 学校再配置により、井田川、川崎、野登の各村立中学校を廃止。3ヵ村組合立中学校として中部中学校が創立。
  • 1951年12月 川崎村長明寺に新校舎が完成。野登分校を除く全生徒を移転。
  • 1954年9月 亀山市制施行。亀山市立中部中学校と改称。
  • 1954年12月 校区の東部地区が鈴鹿市に編入される。亀山市と鈴鹿市による学校組合がおかれ、亀山市鈴鹿市学校組合立中部中学校と改称。野登分校は亀山中学校の分校となる。
  • 1956年4月 組合立中学校解散。鈴鹿地区の生徒は白鳥中学校へ転校。
  • 1962年1月 野登分校を再び本校の分校とする。
  • 1962年4月 野登分校を廃止し、全生徒が本校に転校。
  • 1972年3月 亀山市田村町に新校地が決定。
  • 1973年12月 田村町の新校地の造成工事が完成。
  • 1977年2月 新校舎が完成。同月13日より供用開始。
  • 1978年3月 屋内運動場が完成。
  • 1984年3月 校舎を増築。
  • 1987年2月 生徒急増に伴い校舎を増築。
  • 1988年4月 特殊学級を開設。
  • 1989年3月 生徒増加に伴い、プレハブ教室を増設。
  • 1992年3月 校舎を増築、パソコン教室が完成。
  • 1993年3月 職員室などを拡張。

特色

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NIE(教育に新聞を)を実践しており、1・2年生の授業で新聞を活用している[1]。具体的には、週1回、新聞のコラムの書き写しをさせたり、亀山市立図書館の指導の下で、生徒自身が気になる記事を切り抜き、内容要約や意見を書き加えたりする活動がある[1]。これらの活動は、生徒が社会情勢に目を向ける契機となるだけでなく、集中力の育成や漢字学習にも効果がある[1]

脚注

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  1. ^ a b c 上井啓太郎 (2020年3月11日). “実践指定校訪問(2) 中部中”. 中日新聞. 2023年2月12日閲覧。

外部リンク

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